家事は神さま仕事
いつも来てくださりありがとうございます。
以前にも書いた事がある事が今は、もっと自分の中で深まっていってるなって事が多くて、神さまは凄いなあと感じます。
ちゃんと私にわかるタイミングで教えてくれるのですから
家事は神さま仕事
家事って、昔に比べてラクにはなったけれど、生きていたら、結局やらなくてはならない事なんですね。
ほこりは毎日たまるし、せっかく拭き掃除しても、明日には、もうザラザラになってたり…
料理も毎日外食だと飽きてしまうし、
洗濯も毎日着替えるので洗わない訳にはいきません。
でも、やったからといって褒められる訳でもなく、家族には当たり前に思われて、やってなかったら、やってないと責められるような気がして、罪悪感になる。
お金が発生しない事でもあり、ひとりになっても生きていれば必要になります。
毎日のあたり前の暮らしは、家事をやってる人がいるからこそ成り立っているんですね。
どんなに仕事で疲れていても、家に帰りたいという気持ちになるのは、日常のふつうの生活に戻りたい私たちがいるんですね。
もしかして、私たちの本当の希みは、ふつうに暮らす日常だったりします。
私は洗濯が大好きです。
洗濯ばあさんです。笑
ほとんどのものは毎日洗います。
天気がよければ、シーツは毎日洗いたいです。
でも、今は、疲れてたら、そこまでやらないです。
以前は、やらなきゃ…が強くて、家事が嫌いだと思い込んでました。
リウマチになり、肩から腕、手が痛くなり、家事に使う筋肉って、結構あるんだなあと気づかせてくれたし、家事が意外に好きだったと気づかせてくれました。
義務感になれば嫌いになるのは当たり前ですね。
病気になり、当たり前に体が動く事の有り難みを深く感じました。
あまりに、自分の体を過信していていたんですね。
これくらいなら、私がやれば丸くおさまるからと、自分で背負いこんで体を酷使してきたんだと思います。
当たり前の反対は感謝だといいますね。
足りないものを数えるのではなく、今あるものに目を向けていけるといいですね。
あるものに目を向け出すと、それが拡大していきます。
やらねばはいらないんです。
だって、何もしない事はないから。
みんなやりすぎているのかもしれません。
私は、子ども達が独立した途端に、料理がしたくなくなり、外食や買っってきたものをよくたべました。
料理をしないと、不思議と料理がしたくなりました。
嫌いだし、不得意だと思っていた料理が好きになりました。
結婚して29年、旦那さんが、美味しいと言葉にしてくれるようになったのは初めてかも…
うまくなった訳ではなく
義務感からではなく、つくってあげたいという気持ちからだからですね。
技術じゃなくて、愛なんでしょうね。
だから、一旦なまけてみるのです。
家事は神さま仕事というのは、家事を毎日やる鍛錬で、忍耐が身につきます。
我慢とは違うんです。
好きな事をやり続けるにも忍耐が絶対に必要になるからです。
人生、待ちの時間が多いのです。
それを楽しんで待てる人がチャンスがきたとき乗れる人なんだと思います。
家事に楽しみを見出せるようになると、幸福度があがります。
お気に入りの道具などで、自分を喜ばせてあげたいですね。
最近、洗濯機が壊れて、新しい洗濯機になった事で、洗濯がより楽しくなりました。
サポートしてくださるとうれしいです。 幸せのエネルギー循環になります。