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「結婚式否定派」の考えをぶっ飛ばすような、“でっかい愛”という武器

友人の結婚式の日!

会場着くまで落ち着かなくてソワソワ。招待される側なのに、謎の緊張感。

4年前に先輩の結婚式に招待されたのが初めての結婚式で、友人の式は初めて。

高校1年生の時に出会った友人だから、かれこれもう11年の仲!

コンスタントに会ってきたし、旦那さんと出会った時から話はずっと聞いているし、

ここまで親しい人の結婚式は自分の人生の経験にはまだ無いわけで、そういう意味のソワソワだったのかもしれない。


私の周りには結婚式反対派というか、結婚式にそんなに前向きじゃない人が割と多い。

こんなに高い金額払ってまでやる必要ある? とか、

結婚式のために頑張って、超お金かけて、そこがピークみたいになるのが嫌、とか。

SNS映えとか自己満のためじゃん!なんて声も聞いた。

卑屈な考えにも見えるかもしれないけど、長い人生の中で使うお金を考えた時に、結構な金額にもなるし、“現実派”“堅実派”みたいな人はまあそういうことも思うのかもしれない。

一番身近な彼氏や親友も割とそのタイプなのでそういうフィルターがかかってしまっている自分が少しいたけれど、

そもそも初体験だから自分がどう感じるのかさえ未知数だった。


結果、友人の結婚式はめちゃくちゃ良かった。まあ〜〜泣いた。

泣くかもな〜でもこういうので泣いたことないしな〜 なんて思っていたけど、

バージンロード歩く友人を見て泣き、友人のお父さんのスピーチで泣き、友人のお姉ちゃんのスピーチでも泣き、これまでの歩みのムービーで泣き、親への手紙で泣いた。(泣き過ぎ)


でもね、これはやっぱり「新婦の友人」がその子だったからだと思う。

今回の新婦にあたる友人は、

お世辞抜きでめちゃくちゃかわいいのに、SNSに全然興味の無い子だった。

家族が大好きで、家族とのエピソードを私たち友人はいつも聞いていた。

馬鹿みたいに素直で、夢見がちで、でも努力家で、大器晩成型だった。

何度か失恋もしていたけど、今回の新郎にあたる彼は彼女にふさわしい(というか彼じゃないと務まらない)心が海のように広い人だ。

8年間、色んなことを乗り越えて、ようやく結ばれた。

そんな2人だからこそ参列者は皆、くもりのない信頼を持っていたように思う。
そんな穏やかであたたかい式だった。

例えばこの式の新郎新婦が、

何でもかんでもSNSに載せることが原動力の人だったら?

とにかく結婚すれば幸せになるでしょ!という考えの人だったら?

そういう人を否定するわけではないけれど、少なくとも私はここまで涙を流す事はできなかったと思う。

「愛しているから結婚する」「これからもずっと一緒にいたいから」「育ててくれた周りの人に感謝」こういうものに、少しは濁ったフィルターがかかってしまう気がする。

2人の関係には穏やかで純粋な愛があって、それを皆知っていて、心から祝福していた。

だから、今回の結婚式には、「結婚式否定派」の方々の考えをもぶっ飛ばすような“でっかい愛”という武器が私には見えた。

例えどんなにお金が掛かっていたとしても、この2人の式には見合っていたと思う。


新婦にあたる友人は、私の数いる知り合いの中でも群を抜いて子供っぽく、素直な子だ。

喜怒哀楽の波もすごいし、それを全てストレートに表現する。よく泣き、よく笑う。

良いことも悪いことも、「そんなの1人で解決しなよ!!」ってことまで素直に人を頼り、疑ったり怪しんだりすることがほとんど無い。

大人になると、そういうことは徐々にできなくなっていくものだ。普通に生きていたらそういうものだ。

でも彼女は違っていたし、ありのままで友人を作って、彼と出会って、関係性を作り上げてきた。社会にも普通に出ている。

大人になるにつれて失っていく純粋さとか、淀みのない感情を、彼女はきちんと持っていて、それを放っている。

そんな風に大人になれる人ってきっと一握りだ。

あまりにも大変そうだから彼女と結婚したいかと言われたら絶対にNOなのだけど(失礼)、それでも私は彼女を尊敬するし、友人として大好きだ。

そんな彼女の結婚式だから、純粋にお祝いできて、涙が溢れたのだと思う。

本当に、素敵な1日だった。

友人よ、どうか末長くお幸せに。






#日記 #エッセイ #結婚 #結婚式  


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