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シアター

前回

 アボカドの傷がいまだ冷めやらぬなか。荻原メイから映画館の電子チケットが3枚、私宛に送られてきた。とりあえずのお礼ということらしい。彼女はまだ入院中なのだった。(激しい振動にさらされたせいで内臓をやられたのだという)私といえば今のところ特に問題はない。ただ、少し頭がぼんやりとするだけで。

 チケットの発行元は最寄り駅から4駅先にある映画館で、荻原メイの勤め先でもあった。そこで彼女は入場口でチケットを切ったり、ポップコーンやジュースを作って販売したりしているそうだ。

 本当なら人間の手で管理するよりも、専用のロボットやバイオノイドに任せた方が効率は良い。だが、ある程度までの不合理さについて来館者たちは特に気にしてはいないようだった。むしろ少しくらいの不手際があってでも、人間が仕事をこなしてくれた方が彼ら彼女らにとっては嬉しいらしい。
 ようはデパートでアルバイトをしたときと同じだ。そもそも劇場まで出向いて映画を鑑賞する行為自体が、懐古的な文化なのだ。かつての私のバイク趣味と同じように。

 現代では代金さえ払えば映像作品を、ウェアブル端末やホログラム通信で好きな場所、好きな時間に観ることが可能になっている。しかしこの映画館ではデジタルデータをわざわざフィルムに焼き直し、映写機を使って上映を行う。少し解像度の低い不鮮明な色合いや、ときおり画面に走る雪っぽいノイズがどうやら人々の心を掴むらしい。そしてそういう物好きが商売になるくらいには一定数存在した。

 またアーカイブから発掘された作品が常時かかっているのも、この映画館の目玉だった。戦争前に制作された作品が月に1、2本ずつ入れ替わりに上映されるシステムになっているのだが、これが私たちを悩ませた。意見が割れたのだ。

 彼は古典的な作品に関心があったし、ギザブローは現代的な作品を観たがっていた。遠い未来、地上の半分が砂漠化した世界をヒーローが水と平和を求めて駆け回るシリーズの最新作だ。
 これはニュースで大々的に取り上げられたので私も知っている。前作から6年ぶりの――スピンオフではないナンバリング作品であり、また長らくシリーズから遠のいていた初代の監督が再びメガホンをとったことで話題になっていた。そしてライバル役として水資源を奪い合う敵組織のリーダーが、主人公と生き別れの兄弟だと発覚したラストも、世を賑わせたトピックの1つだった。

《今まで出てきたあんな奴らやこんな奴らが大集合するんだって、すごいぞ!》

 私たちは話し合いの末、今回は彼の要望を優先させることに決める。私と彼はこれまで何度も映画館に赴いたことがあるけれど、ギザブローにとっては初めての経験だったからだ。どうせなら楽しい気持ちにさせてあげたかった。
 
 約束の土曜日は気持ちの良いくらいに、よく晴れていた。天上の鮮やかな青色に、雲の白さが際立つ奇麗な空模様になっている。まさにお出かけするのにはうってつけの日だった。洗濯物にも最良そうな天気だったけれど、今日のために金曜日までに全部済ませてしまったので、私と彼はもったいないことをしたと言いあう。(私たちは乾燥機に掛けるよりも、天日に干すのが好きなのだ)

  ンミミ! 青空の下でギザブローは小躍りして喜ぶ。映画館は屋根の下だから天候はあんまり関係ないけれど、やはりお出かけのときに晴れていると嬉しいようだ。

 時間になると、チケットに付属していた簡易ポータルで移動する。休日の映画館はなかなか盛況だった。コンセッションの前は黒山の人だかりで、備えつけのベンチは満員、チケット売り場もキツネの尻尾みたいに列が伸びている。私たちはあらかじめ座席を指定しておいたので、煩瑣な思いをせずに済んだけれど。

 目的地に到着するとギザブローは、さっそくコンセッションに並んでチリドックと炭酸ジュースのデータを買う。どうやらスクリーンを前にして、物を食べるのが夢だったらしい。私と彼もそれぞれコーヒーやウーロン茶を購入し、五番目のスクリーンシアターに赴く。

《うふふ》
「わかってると思うけど、静かにね」

 席に着くと彼は、隣にいるギザブローに向かってそう言う。すると相手は振り子のように何度か頷く。しっかりした動きだ。それを見届けたのちに彼はおもむろに顔を上げ、こちらに視線を向ける。ついですっと座席から少しだけ身を乗り出し、ギザブローの頭越しに私の耳元に唇を寄せて言う。

「無理していないか」
「うん。大丈夫だと思う」

 私は答える。相手の声音が囁くようなので、こちらもおのずと密やかな答え方になった。聞こえるか、聞こえないかの境目くらいの声量に。彼の表情が少しだけ和らぐ。

「気分が悪くなったら、遠慮しないで言うんだよ。いいね」

 そう彼が言い締めると同時に、館内の照明がすうっと落ちる。会社のロゴがスクリーンに映し出される。そうして数分間の予告編が流れたのちに、本編が始まった。

 ……いくつもの流血と闘いを経て、主人公とライバルは共闘する。その結果、黒幕が水資源目当てに兄弟同士を争わせていたのが発覚した。そして……なんたることか。その正体は、彼らの実の父親なのだった。兄弟は揃って邪悪な父親に立ち向かう。大立ち回りの末、元敵幹部方が主人公を庇って傷を負ってしまう。

『馬鹿な。どうしてこんなことを』
『もういい。もう、かまわないんだ』

 台詞がどんな心積もりで発せられたのかは、幾通りも解釈できる。ヒューマニズム。事故。得も言われぬ衝動。黒幕が父親だと判明したときにショックを受けた面持ちだったので、あるいは自殺なのかもしれなかった。スピーカーから流れる主人公の慟哭と黒幕の哄笑が、シアター内で混じりあう。物語はクライマックスの気配を漂わせながら、次回作へともつれ込んでいく。

《やっぱり、すごかったなあ! かっこよかったし!》

 カメラがぐわんぐわん動いて、音もびりびりして。それから、それから――。映画館にほど近いところ、休憩がてら立ち寄ったカフェの片隅。ギザブローはテーブルの端に乗り、私たちへ向かって早口でまくし立てる。入店したときから鑑賞した作品の感想を、彼はずっと話し続けていた。
 そうして文字が送られるたびに彼の背中がぴんと伸びたり、両手をぶんぶん振ったりした。そのように派手な身振り手振りを眺めているうちに、私もなんだか楽しい気分になっていく。

「ね。次のやつが出たら、また観にこようか」
《うん! 見る! 見る!》

 私が口にしてみると、彼はその場で皮を剥いた豆みたいに跳ねた。ンミミ! と歓声を上げる。ギザブローを眺めていると、私もなんだか楽しくなってきて、つい笑いが漏れてしまう。へへへ。まもなくあたりの空気が、小さく揺らいだ気配がする。

 ふと。なんとなく気になって、テーブルの向かい側にいる彼の方へ視線を移す。彼も私と同じように笑っている。いるけれども、“笑顔”と掛け値なしに表現するには違っていた。なんだか愁いを帯びた表情だったのだ。そうしてしみじみとした、とても静かな口調で彼は言う。

「そうだね。また、3人で観にこれると良いな」

 私たちはカフェを出て、帰路に着く。今日はポータルを使わないで、券売機で切符を買って電車に乗る。
 ギザブローは人間の詰め込まれ具合にぎょっとして、右往左往している。だが平日ならこんなものではないし、これでも君が製造された2世紀前よりかは、ずっとましになった方なのだと伝えられると彼は何とも言えない表情を浮かべた。その神妙そうな顔つきを眺めながら、自分が産まれたのが22世紀後半で良かったなと私はつくづく思う。電車を降りて、改札を抜けて構内を出た。

 路上を歩いているあいだ、私はずっと落ち着かなかった。スリープ状態になったギザブローを肩に乗せているのもある。けれどもそれだけじゃない。
 私は何度も後ろを顧みたり、耳をそばだてたりして身構えてしまう。巨大な何かが自分の方に迫ってきて、私たちを飲み込んでしまうのではないかと。だが、このあいだのようなことはそうそう起こらない。それでも拭いきれない不安というか、居心地の悪さがあった。

 そんな動揺が、隣を歩く彼に伝わったようだった。不意に彼の指が触れる。私のそれに絡み、強く握りしめた。私も彼に応える。そのまま私たちは無事に家に辿り着く。

 少し休憩したのちに、夕食をプリントアウトする。皿が並び終わっても、ギザブローは起きてこない。きっと情報の処理に時間がかかっているのだ。今日は楽しいことがいっぱいあったし、本人もとてもはしゃいでいたから負荷がかかったのだろう。

 夜は2人だけで過ごす。使った皿を予洗いして、食器洗い機に入れる。シャワーを浴びて戻ってくると、リビングの照明が落ちていた。とはいえ完全に真っ暗というわけではない。滲んだような淡く白っぽい光が、ぼんやりとあたりを照らし出している。そんな薄明りの中で彼はソファに座り、どこか一点をまっすぐに見据えていた。

 なんだろう。そう思った次の瞬間に、私は相手の後ろ姿まで近寄っている。足音を立てないよう、ひっそりと静かに。すると彼の眼前でホログラムが起動しているのを理解する。

 空間に再生されているのは動画であるようだ。2人の人物がちらちらと動きながら、何事かを話し込んでいた。ところどころで場面が切り替わる。ふと何であるのかが、私にはわかった。これは映画だ。
 こちらに気づいたらしい。彼はわずかに首をよじった。まもなく言葉なしに、体を横に退けて空間を作る。ちょうど一人分が腰掛けられるくらいの。ご同伴にあずかることにした。

 全編がモノクロで撮影された映画だった。表現のためにあえて形式を選んだというわけではなく、どうやらカラーフィルムが主流になる前に制作された作品のようだ。街並みからして100年と5、60年前くらいだろうか。実際、時代性を証明する言葉や風景はいくつもある。ゴミの転がる水はけの悪い道路、電球が使われた街のネオン。そしてヒロシマという地名。

 かつてアジアと呼ばれた場所に存在した、日本という国にあった地方都市――ヒロシマにあるホテルの一室に、日本人の男とフランス人の女が滞在している。2人は極めて親密な仲であるらしい。男性は彼女に好意を抱いているし、女性の方も憎からず相手を思っている。しかし彼女は去ろうとする。彼のいる街、彼のいる国から。(2人は不倫関係なのだ)

『きみはヒロシマで何も見なかった。何も』
『わたしはすべてを見た。すべてを』


 立ち昇るキノコ雲。核兵器によって徹底的に焼き払われた街。激しい熱線と衝撃波により痛手を負った人々や、反核兵器を訴えるいくつものデモ行進。そのさなかにときおり思い出したかのように、抱擁する男女が映し出される。2人は戦争によりそれぞれ傷を負っており、過去と現在が交互に繰り返される。こんなような話だった。
 この映画について私が理解できたのはそこまでだ。挟み込まれるメロドラマの存在意義を、私は上手く見出し得なかった。過去に起った出来事の無惨さを強調したいのか、人生のままならなさや困難さを表したいのか。あるいはその両方か。

 いずれにしても作品全体の主軸にされているからには、それなりの理由があるはずだった。けれどもそれが一体どのようなものなのかが、私には見当がつかない。たぶんこの作品の中で取り扱われているのは、私自身では持て余してしまう感情だったからだ。

 少し離れたところで、彼が動いた気配がする。横目で見遣ると、距離が近くなっている。けして隔てられてはいない、でも接近し過ぎない適度な距離だった。熱は感じるが、触れ合うことはないという程度の。

 そうこうしているあいだにも、映画のストーリーはどんどん進んでいく。今は、反戦と反核兵器を訴えるプラカード行進の最中だった。2人はデモストレーションを眺める群衆に紛れて歩いている。しかし彼と彼女は心ここにあらずの様子だ。ずっと別れる、別れないの話をしている。シュプレヒコールの内容は真剣であるはずなのだけれど。

『きみが出発するだなんて、考えるだけでも嫌だ。明日だなんて。ぼくはきみを愛していると思う』

 きみが出発するだなんて、考えるだけでも嫌だ――。映像内の男と同じ言葉を、彼も繰り返す。陽が沈んだ後に森の中を歩いているみたいに、ひっそりとした低い声で。そうして再び唇を固く閉ざした。

 別れる、という女の決心は固いようだ。男は引き止めるが、彼女は首を縦に振らない。撥ねつける素振りには名残惜しさや未練を感じさせるが、結局最後まで翻意することはなかった。彼ら彼女らの心持を、私はなかなか受け取ることができない。
 結局、何もかもが曖昧な認識のまま映画は終わってしまう。そんな状態だから私の中では差し出された内容よりも、人々の服装や街並みの方が印象に残っている。夏用の白いシャツや子どもの半ズボン、破けて焼け焦げた服。一部の鉄筋コンクリートのビル以外は、徹底的に破壊しつくされた街。そして灰燼のなかから立て直された街。そのような背景が登場人物の交流と、やはりあまり噛み合っていないような気がした。

「君やギザブローを見ていると、ときどき怖くなるんだ」
 電気がつけ直され、明りが室内に満ちた次の瞬間。彼がにわかに口火を切る。
「何が怖いの?」
「ぜんぶ」
 私が問いかけると、彼は答える。
「君たちのことが嫌いなわけじゃない。ただ物事が――空間とか時間とか、あるいは話している声や手ぶりとか、思い出って表現してもいいのかもしれない。そんなものがんどん積み上がっていくのに、躊躇いがないのがおそろしいんだ。頂の届いた先が、必ずしも好ましい場所とはかぎらないのに」
「でも、何かをせずにはいられないだろう。生きているからには」
「わかってるよ。僕だって今までいろんなことをしてきたし、たくさんの人と話をしてきた。でも、けして良いことばかりではなかったから」

 彼はそう言って、顔を伏せる。そうして額に両手をついて泣き始めた。わんわんとあたりに響かせてくる類ではない。どこまでも声を押し殺した泣き方だった。まるで堪えていなければ溢れ出た涙で、自分の姿かたちがあとかたもなく崩れてしまうというように。

 私は少しだけ縮まった背中を撫でる。今は、そうすることしかできない。もちろん心が落ち着くことを言ってあげたかったし、そうでなくとも言いたいことは確かにあった。

 君がやってきたことは全部が全部悪いことばかりじゃなくて、万にあるいは兆に1つ程度かもしれないけれど、良いことだって少なからず行ってきたはずだと。それはきっと――自画自賛みたいで恥ずかしいけど――私や、ギザブローだって同じなはずだと。もしかしたら彼は私や君よりも、はるかな数の素晴らしいことを成し遂げるかもしれないと。しかし言葉にした端から嘘っぽくなってしまいそうで、口に出すのはなんとなく憚られた。

 だから、リビングではこれ以上は何も起こらない。たっぷりの広さの室内では私と彼の二人きりで、微かな衣擦れの音としゃくりあげる声だけがあった。

参考文献
『ヒロシマ・モナムール』 マルグリット・デュラス著 工藤庸子訳
河出書房新社 2014年10月20日


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