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葛城公爵邸殺し

先代の葛城公爵は花狂いであったので、国内外問わず東西から様々な草花や樹木を取り寄せて自身の屋敷の庭に移植させると、それぞれを競い合わせるようにして職人に栽培させた。
 なかでもとりわけ見事と評判なのは屋敷の洋間から見える椿の生垣で、ここだけは庭男ばかりに頼らずに、先代が手ずから世話を施すほどであった。かように椿の花が格別の扱いを受けるのは、先の殿様が臣籍降下する以前に与えられていた御印章であったためであろうと思われる。
 現公爵である智弘もときおり庭園を歩き、生垣の前に立つことがあった。しかし父親と違い、彼には花草に対しての特別な関心はない。鑑賞によって荒涼とした心を慰めるというのでもない。この男が植物を眼前にするのは必ず残酷な衝動に由来する。
 明治31年、11月1日の夕方。着流し姿の智弘が椿を前にしている。庭をさまよう彼の足元には大きくほころばせた花が首を落していた。一つ、二つとは言わず、花籠でもひっくり返したのかというくらいに大量に。とはいえこれは自然の働きによるものでも、剪定によるものはなかった。全てはこの庭の主が、自らの手で無理やり引きちぎったのだ。
 彼の歩いた後ろにはむしり取られた椿の花弁が、点々と筋になって散っている。その鮮やかな深紅の色彩が広がる様はまるで血飛沫のようも見え、事の暴虐さを引き立てていた。
 その始まりの場所、公爵のずっと背後からに叫び声がにわかに上がる。怒髪天を突いているらしい女の声だ。あまりの興奮のために何を言っているのかは判然としない。しかし慌ただしい足音が近づくとともに声も大きくなり、憤りの内容も次第に明確になってくる。ゴラァァァ!
「殺生したらアカンて言うとるじゃろがい!」
 そう言いながら女が1人、砂煙を立て猛然と智弘の許に走ってくる。肩にかけた白い前掛けをたなびかせて、黒いスカートの裾を翻す、その正体は女中――西洋風にいうならメイドであった。

【続く】

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