執狼記 序

吉兼から真口へ
 メールありがとう。こちらは今のところ、大丈夫。そちらも息災そうで何よりだ。

 僕の方もクリスマスなのにすっかり腰が引けてしまって、どこにも行かずに家に引きこもっている。きっとお正月もこのままだろう。観たい映画や読みたい本は色々溜まっているし、ちょうどいい機会かもしれないけれど。でも去年までは歓声と音楽に満ちた、イルミネーションの光できらびやかな街を歩いていたという過去が、よけいに物寂しさを際出せてくる。

 ――……本といえば、今年の夏に古本屋でおもしろいものを手に入れた。とある人物の手記(あるいはそのような態をとったテキスト)なのだが、これがたいへん興味深かったので、行動自粛の手慰みに日本語になおして送る。なかなか奇妙なので、きっと怪奇趣味の君も気に入るんじゃないかと思う。

 まず文章そのものを紹介する前に少しだけ手記自体の説明と、僕自身の所感を記しておきたい。

 この手記が書かれたのは1912年。史上初の、世界中を巻き込んだ大戦争が勃発する直前。そして現在よりもまだ啓蒙思想以前の迷信の残り香があって、妖精や魔法の息吹がかろうじて感じられた時代。Q国の、ある村で起こったという出来事だ。
 実際に当時の新聞記事をあたってみると舞台になった村は実在していて、それらしい事件も実際にあったようだ。登場している人物の名前も合致するので、ある程度の事実性の担保はあると思う。少なくとも、文章の基になる出来事は存在したのではないかとは考えている。

 この手記を読み終わった後、僕はグーグルアースで該当地域を検索してみた。公的な記録によると登場人物たちの暮らしていた村は第2次大戦前まで共同体を保っていたようだが、戦時中の混乱や戦後の過疎化で打ち棄てられたという。1990年代のことだ。100年前よりは間近とはいえ、30年という月日もそれなりに長く重い。人家の痕跡はもはや跡形もなく消失し、村があった場所はすっかり森に呑み込まれていた。自然の原則としてはあたりまえのことだろうけれど、でも、そのことが僕にとっては何だか悲しかった。

 また成就されなかった願いについて思いを馳せるときにも、とても胸が痛い気持ちになる。もし僕に不可思議で偉大な力があったのなら、手記の中で描かれた彼の想いを何としてでも叶えてあげたい気がする。
 
しかしテキストの内容が(たとえ一部分のみであっても)真実であるのなら、これらの帰結は当然であるように感じられるのだ。


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