母たちの生き方
母が亡くなって義母が元気だったころ筆者は新聞に次のように書きました。
筆者はこの話を修正しなければならなくなりました。義母がその後こわれてしまったからです。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようでした。
義母は先年92歳で亡くなりましたが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である筆者の妻をさんざんてこずらせました。
義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノでした。
老人の義母は老人が嫌いでした。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だったのです。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人でした。
こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らない、というふうでした。子供時代から甘やかされて育った地が出た、とも見える荒れ狂う姿は、少々怖いくらいでした。
義母の急変は周囲をおどろかせましたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた筆者は、誰よりももっとさらにおどろき内心深く落胆したことを告白しなければなりません。
義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりしまた。
怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、筆者の中にいよいよつのらせていくようでした。
義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように筆者には見えました。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれません。
そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが筆者にはあらためてわかったように思えました。
いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違います。筆者はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはきませんでした。
戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきました。そのことを悔いはしませんが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはあります。
死は静謐です。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことです。すなわち生きるとは、文字通り心身が動揺することです。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできます。
そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。
それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトです。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことです。
なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言います。それが老人の愚痴です。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招きます。
「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることです。それがつまり真の悟りなのでしょう。
苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないでしょうか。もはや若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない筆者は、時々そうやって想像してみるだけです。
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