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なぜサガフロンティア2はクソゲーと呼ばれたか

この記事は発売から20年以上が経過した今現在でも著者が敬愛する至高のRPGとして思いを馳せているスクウェア・エニックス(当時はスクウェア)のRPG、『サガフロンティア2』について思うことをひたすら述べるところである。

とはいえそれではあまりにも雑多で幅広いテーマになってしまうので、「なぜクソゲーとして扱われていたのか」を主体として考えながらまとめていきたいと思う。

注意点としては現時点においてサガフロンティア2は決してクソゲーというカテゴリではなく、ゲームカタログのページおいても「良作」という判定を受けていることをこの場を借りて証明しておきたい。



サガシリーズについて

まずはなによりもサガフロンティア2(以下SF2)についてを前置きせねばならない。
このSF2はスクウェアソフトの開発2部という部署が手掛けているRPGシリーズ『サガシリーズ』の第8作目にあたる。

サガシリーズはFFと肩を並べるほど歴史が長いシリーズであり、FFと同じRPGというジャンルとはいえ雰囲気や世界観、設定などにおいては独特なものが多いためシリーズのファンはいまでも非常に多い。


第1作目である『魔界塔士 Sa・Ga』は1898年にゲームボーイソフトとして発売されたが、その後ワンダースワンや携帯アプリなどにも移植されリマスターも重ねられている。
ゲームボーイソフトの『Sa・Ga』は全3作品となるがもちろんそれでシリーズが終わっているわけではなく、SFCで新たなるサガシリーズとして『ロマンシング・サガ』が1992年に発売されるとたちまち大人気RPGとなる。

「ロマサガ」という愛称で親しまれたこのシリーズは人気RPGシリーズであるFFと同時期のリリースを重ねていたが決して見劣りするようなこともなく、またFFと比較するとやや玄人向け、RPGに慣れた人向けという雰囲気も持ち合わせていたためか小学生の間でもよりゲームオタクに属する子供たちが中心になって好んでいた傾向がある。


いわゆる『敵と戦い経験値を得てレベルアップをしてラスボスを倒す』というRPGにおける大筋テーマこそFFやドラクエなど当時大人気だったRPGと同様ではあったが、サガシリーズにはそれだけではない醍醐味があった。

それというのもキャラクターの育成関係であり、そもそもロマサガはキャラクターのレベルというものが存在しないRPGなのである。
HPや防御力などのステータスは戦闘を重ねることでそれぞれ増加していき、技や術(魔法)は【閃き】というシステムで戦闘中に閃いて体得する。これは緻密な育成ツリーが内部的に存在しており、Aの技とBの技を使い続けなければCの技は閃けないといったような奥深さがあった。
まるで実際にRPGのキャラになって敵との戦いひとつひとつで自身の技を磨き、より強い技や術を発見していくという没入感はシリーズのファンとしてはたまらないものがあった。


そして満を持して発売されたのが『ロマンシング・サガ3』。


この「ロマサガ3」は閃きなど既存のシステムはそのままに、より刷新された作り込みの深さやシステム面の秀逸さに加えてグラフィックの美麗さなども高く評価され、多くのサガシリーズファンからシリーズ最高傑作とまで称えられることになる。

サガシリーズのもうひとつの特徴としては自由度の高さであり、FFやドラクエが次の目的地を明確に指示されながら進行するのとは対照的に世界各地に散らばるイベントやサブイベントをプレイヤーが自由に選択して体験しながらメインストーリーを進めていくという独特なプロットが組まれている。

そのため、RPGやゲーム慣れしている人からすれば難なく進められるとしてもゲームの初心者やRPGをはじめて遊ぶ人は行き詰ることが多く、攻略本があってもなお苦労するという意味ではやはり玄人向けのRPGだったと言ってもいいだろう。

各地に出現するモンスターも固定しているわけではなく、ダンジョンなどに出現するモンスターはプレイヤーキャラの能力が上がるに比例して変化していく。つまりは最初は低レベルザコばかりで軽く捻れる程度だったものが徐々に強力なモンスターに変化していき、しまいには低レベルなザコが出現するダンジョン(エリア)がゲーム内に皆無になってしまうというわけである。
常に気の抜けない戦闘が強いられるという意味でもやはりRPGに慣れた人向けと言えた。


さて、このような性質を持ちながらプラットフォームはいよいよPSへと移る。
PSのサガシリーズ第一弾としてリリースされたのが『サガフロンティア(以降SF1)』。いまではシナリオ追加もされたリマスター版も人気を博している作品だ。


サガシリーズは複数の主人公ごとに異なるシナリオが用意されており特定の主人公でなければ発生しないイベントやストーリーが楽しめたが、SF1もその例をなぞるようにして複数の主人公が登場しそれぞれのストーリーが展開する。

閃きシステムなど既存の要素はもちろん、PSでの美麗3Dグラフィックも見どころとなった。また、いままでのサガシリーズはあくまでも剣と魔法の中世が舞台であったものがSF1では現代的・近未来的な素材も豊富に使われており、また違った雰囲気のサガシリーズ世界観を体験できるようになった。

また、SF1には独自の要素として「種族」というものが追加されることになり、ヒューマンのほかは妖魔、メカ、モンスターといった異なる成長方法と要素を持つプレイフィールキャラが登場。サガシリーズ特有の膨大な仲間キャラ人数はそのままでこの種族という概念が加わり、より多彩な遊び方の幅広がりを実現した。

サガフロンティア2


こうしたサガシリーズの系譜を経て8作品目としてリリースされたのが今回のテーマとなるサガフロンティア2だ。しかし、発売して間もなくしてはやくもクソゲーというレッテルが貼られ出してしまう。

ロマサガシリーズから続いてSF1で正当進化したストーリーの多彩さや種族などを加えての戦闘システム、育成システム、ストーリーよりもシステム面を凝りに凝りまくったサガシリーズの特徴のほとんどがSF2では一気に鳴りを潜めてしまったせいだ。
いくつかの部分ではサガシリーズらしさは残っているとはいえ、RPGというよりもRPG+ボードゲームに近いゲーム性になっているためでもある。

SF2の舞台はアニマという術の力が当たり前のように存在するサンダイルという世界。ここには古くから戦争を続けているいくつかの国家や大陸が分散しており、それぞれの政治的戦略的な駆け引きが暗躍するなかで運命の寵児であるギュスターヴ13世とウィル・ナイツという2人の主人公を操作しながらストーリーを追うことになる。

そう、前作SF1では6人もの主人公キャラが居たにもかかわらず本作ではなんと2人という縮小ぶりだ。たしかに普通のRPGであれば主人公はひとりというのが相場ではあるが、サガシリーズは複数の主人公と仲間キャラを入れ替わりながらそれぞれで育成に精を出すことこそ醍醐味のひとつである。
そして後述するが、仲間キャラについてもそれまでのサガシリーズとはまったく異なる体系となっており、簡単に言えば同じ仲間キャラをラスボスまでずっと連れて行くというようなことはできなくなっている。

この2人の主人公はロマサガ3やSF1のように主人公別のストーリーが存在しているとはいえセーブデータが別個であるなどするわけでもなく、基本的には一本道のストーリーのなかで主人公がシナリオによって勝手に切り替わるという仕組みだ。
つまり、ギュスターヴ13世が好きだからとギュスターヴのシナリオばかりをやっていてもゲームの全容はまったく分からないどころかラスボスに辿り着くこともできない。

サガフロンティア2のストーリー

SF2における「シナリオ」

SF1ではたとえば主人公としてエミリアを選んだ場合、エミリアに関連するイベント(シナリオ)が各地の街などで発生しプレイヤーはそれぞれのイベントを経ることでメインストーリーに繋がるというのが構図だった。

これはロマサガ3でもほぼ同様であり、特定の主人公でないと発生しないイベント、サブイベントなどをひとつずつ回りながら育成しつつラスボスまでのルートを模索していくという形だ。ドラクエなどもこの構図に近いかもしれない。

しかしSF2はこのようなイベント、サブイベントの概念はない。まず自由に動き回れる街や村のようなものは常時では存在せず、プレイヤーは世界地図が表示されている画面で年代別に発生するシナリオを選択、するとそのシナリオに即した主人公とうろつけるフィールドマップが登場しその範囲内でのみ自由に動き回ることができる。


たとえばSF2のウィル・ナイツ編序盤のシナリオである「ウィルの旅立ち」を世界地図内で選択するとウィル・ナイツの登場など一通りのカットシーンのあとにヴェスティアという街に放り出され、ここからプレイヤーが自由に動かすことができるようになる。

ヴェスティアではタイラー、コーデリア、ナルセスという3人の仲間を得てハンの廃墟という遺跡に行くことになる。遺跡自体はダンジョン構造なのでプレイヤーが自由に動かすことができるが、目的を達成した途端にぶっつりとシナリオは終了。また世界地図画面に戻されて次のシナリオを選択するということになるのだ。

それでは次にウィル・ナイツの2つ目のシナリオ「大砂漠のメガリス」を選ぶと、何の説明もなくいきなり砂漠にある謎の遺跡に行くということまで話が進んでしまっている。装備を整えようにもヴェスティアしか街はないので買い回ることもできず、お金稼ぎや育成をするために手頃なダンジョンに潜るという選択肢もない。
ストーリーを進める以外のことは一切できないのだ。

さらにこのシナリオは年代が設定されており、「ウィルの旅立ち」は1235年、「大砂漠のメガリス」は1236年として一年後のシナリオになっていることが分かる。


つまりはこのまま進めることで主人公だけでなく仲間キャラも年代による変化をきたすことになり、ゲーム内最終年代の1300年にもなればほとんどの仲間キャラは加齢などでこの世を去っており、SF1やロマサガ3で見られたような「ラスボスまで愛着持って育成する」というものとはまったく異なるシステムであることが分かるだろう。

1つの本流と2つの支流

SF2のストーリーは大きく分けて2つの物語で構成されている。『ギュスターヴ13世編』と『ウィル・ナイツ編』である。
この2つのストーリーは序章となるシナリオを除いては基本的にひとつ前のシナリオを体験しない限りは次のシナリオが開放されないという仕組みで、世界地図画面で選択・進行するということになる。


ギュスターヴ13世

『ギュスターヴ13世編』はフィニー王国という栄華を極めた国の嫡男として生まれながらもアニマを持たないという、現代社会でたとえるならば家電製品の一切が生まれつき使えないというに等しい体質を持ったギュスターヴ13世が主人公だ。
このギュスターヴ13世編では主にサンダイルという世界における政治的、国家的なやり取りや戦争、世界情勢などの状況や顛末が語られながら進む。冒険譚というよりはどちらかというと歴史の教科書を読んでいるような感覚であり、もちろんギュスターヴ13世や彼を取り巻く登場人物は個性的なこともあり読み物としては楽しいがRPGというゲームで考えるとやや異なる感覚はあるだろう。


一方で『ウィル・ナイツ編』はギュスターヴ13世編と比べるとかなり冒険や探索に寄ったストーリーだ。


ウィル・ナイツ

主人公はウィル・ナイツという青年だが、時代が経過するにつれてウィル・ナイツの息子リッチ・ナイツ、そして孫のジニー・ナイツと主人公が切り替わることで三代に渡るナイツ家のストーリーが描かれる。
ウィル・ナイツ編では「エッグ」という名前のクヴェルを巡る事件や闘争をナイツ家の一族が追い続けるというストーリーであり、ギュスターヴ13世がサンダイルにおける表舞台の歴史を語るならウィル・ナイツ編は裏舞台を描いていると言ってもいい。
強力なモンスターやダンジョンもウィル・ナイツ編には多く登場するため、ギュスターヴ13世編よりも戦闘難易度は高い(一部コンバットはギュスターヴ編の方がむずかしいが)。

この2つのストーリーは基本的には交わることはないが接点がゼロかというとそういうわけでもなく、ウィル・ナイツ編に登場したキャラがギュスターヴ13世編に登場するまたはその逆があるなどの事例はある。
共に同年代を生き抜き、場所や環境は異なるが「時代を動かした」という意味では同じ境遇の2者がサガフロンティア2のストーリーそのものなのである。

ストーリー部分をロマサガ3やSF1と比較すると

ロマサガ3のメインストーリーは各主人公次第であり、たとえばハリードを主人公にした場合はオープニングイベントを経て各地のサブクエストをしながらハリードのメインストーリーを追いかける。合間の行動や移動は自由であり、サブクエストにより発生したダンジョンに籠って修行するもよし、無数の仲間キャラを探訪するもよしだ。

一方でSF1もロマサガ3とほぼ同様だ。SF1の場合は世界地図ではなくリージョンと呼ばれる惑星のようなエリア間を行き来して街やダンジョンなどに行くことになるが、各主人公のストーリーをこなしながら各地のサブクエストや育成などをする、という概念的にはロマサガ3とほぼ変わらない感覚である。

この2つに共通しているのは「メインストーリーの合間に自由に好きなところで育成やサブイベントができる」というところで、まさにサガシリーズのファンとすればこの自由度の高さとそれによる育成の奥深さ、なにより長時間かけて変態なまでに高めた究極ステータスキャラを作り上げることにあるという人もいるだろう。
こうした楽しみはSF2では再現されていない(究極まで育成することは可能だが、その経緯や構造が過去シリーズとはかなり異なる)というだけでもやはり敬遠材料になってしまうかもしれない。


しかし、逆に言えば年代別のストーリー、世界全体の構造、勢力図、情勢といったような奥深いストーリー構造はロマサガ3やSF1にはほとんど語られないし見られない。
とくに自由度が高い主人公ストーリーであるロマサガ3のエレン編やSF1のリュート編などに至っては開始即でラスボスに行く(ラスボスに至るイベントを発生させる)ことすら可能である。

こうした高すぎる自由度を優先した作りはキャラ育成に重きを考えるプレイヤーとしては遊びやすいが、ストーリーを堪能したいというプレイヤーからするとやや肩透かしにもなってしまう。実際、SF1のリュート編はモンドというキャラ以外にそれらしい人物は登場しておらず、このモンドという人物もリュートの父親と親交があったという程度しか語られない。
実際はモンドやリュートの父親など複数名が関与している事件なども裏では設定されているがこのあたりのストーリーはゲーム内では明確には出てこないため、のちに解体真書(ファミ通監修の分厚い攻略本)を紐解かなければ分からなかったというプレイヤーは後を絶たない。

これというのもロマサガ3やSF1を手掛けたプロデューサーである河津氏の方針によるものであり、もともと河津氏の描くRPGは深いストーリー性よりもゲームシステム性を軸としているためである。

FF10との比較

SF2よりも後になるが、攻略本(設定資料)を読まなければ分からないという意味ではFF10ともかなり通じるものがあると言える。発売から20年近くが経過していることもあり、FF10についてのネタバレはこの記事では解禁とするため注意。


スピラという終わりに向かうような世界に突如として現れることになる青年、ティーダが主人公のFF10はいまなおシリーズでも傑作の部類だと称えている人も多いが、そのストーリーの本髄どころか導入ですら把握と理解をしている人は発売後しばらく経ってもそう多くはいなかった。

それというのもストーリー骨子のほぼ大半がゲーム内では一切語られていない(または思わせぶりな言い回ししかされていない)ため、読解力の高低を抜きにしてもシンプルにゲームをプレイしているだけでは理解できないせいだ。


たとえばティーダがスピラにやってきた経緯。ゲーム内ではあたかもタイムトラベルでもしたかのような演出がされており、スピラで初めて出会った少女であるリュックが異言語(アルベド語)を話すということからプレイヤーとしては「ティーダが生きていたのは過去のザナルカンドであり、ゲームの舞台はあれから何千年も経過した世界なのだ」と思い込んでしまいがちな導入となっている。

実際はスピラという世界とティーダの生きていたザナルカンドとはまったく異なる場所であり、ティーダもザナルカンドもそのすべてが「シン(=ジェクト)の夢の産物」でしかないという設定がある。


FF10オープニングムービー/ザナルカンド

しかしこれらもゲーム内では一切『明確には』語られないのでプレイヤーとしてはやむを得ず見える範囲の情報だけでストーリーを進めるしかないのだが、夢の産物であるという部分が分からなければシンを倒したあとのエンディングでティーダが急に光の中に掻き消えて行ってしまったその理由すら理解できないままで終わってしまうのだ。

このあたりのストーリーは実はアルティマニア(ファミ通の分厚い攻略本)にすべて記載されており、さらに言えばFF過去シリーズのFF9やFF8、FF12なども細かい設定はすべてこの攻略本に詰め込まれている(別途に設定資料集などもあるが)。
言い換えれば、深いストーリーを考察したいのであれば設定資料や攻略本の購入がほぼ必須という意味ではSF2に通じるものがあると言える。こうした出版社にもゲーム会社にもWin-WinになるRPGの製作方法はこの時代のスクウェアRPGのお決まりだったとも言えなくはない。(ゲームとしては細部の語りを無くすことで容量を減らせるし、攻略本出版社は利益になる)


思うことがあれば追記予定。

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ILLUSTRATION:©TOMOMI KOBAYASHI

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