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本を手放す試み

休職3ヶ月目の近況

来月からリハビリ勤務が決まった。

先日久しぶりに盛大な腹痛+嘔吐(過敏性腸症候群に以前から悩まされている)に襲われたため、正直大丈夫だろうかという気持ちはあるが、とりあえずまずはやってみようと思う。

本のなかに答えを探して

仕事を休んでいる間、図書館で本を借りて読んだ。「私の人生、これからどうなるんだろう」という思いが常にあり、その答えを本に求めていた。

そうして借りたのは、今までの生き方に疑問を持って行動を変えた人たちが記した本ばかりになった。

安定していたが会社員生活に疑問を感じて実際に辞めた人、週に2〜3日だけ働いてもらえるお金は少なくても幸せな生活を送る人、女性一人離島で暮らす人など。

私は休職中に何度となく退職を考えたので、上記の人たちの体験にはだいぶ励まされた。

色々考えた末、今は元の職場への復職を目指すことにしたが、「辛いときはその環境から逃げても良い、人生はこうじゃないといけないなんて決まりはないんだ」と以前よりは思えている気がする。

部屋にある本を手放す

図書館で読んだ本に感化された部分が大きいのだが、何か自分にもできることはないかと思い、部屋のモノの整理、処分を始めた。

今日は本とCDの整理で、段ボール箱が4個分になった。

元々わりと抵抗なくモノを捨てられるのだが、本が好きということもあり、読んで良かった本は再読する、しないに関わらず部屋に置いていた。

これからもそのつもりでいたのだが、最近読んだ本にこれまた影響を受け、ゆくゆくは本棚自体を部屋からなくしたいと考えている。

再読しない本を手元に置く理由

その本のタイトルは「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」

著者は元汚部屋出身で出版社に勤められている佐々木典士さん。溢れたモノを減らして、自分が本当に大切なモノと暮らしていけるよう、捨てる技術について余すところなく書かれている。

そのなかに本棚を自分と思い込んでないか?という問いかけがあったのだが、これには結構思い当たるところがあった。

前述したように、私は好きだと感じた本はその後何年も読まなくても手元においておく。でも、それはなぜだろう?

たとえば夏目漱石や太宰治など昔の文豪が書いた小説の場合、こういう本を好んで読む自分は教養がある、と思いたい気持ちがあったかもしれない。

ほかには、文庫本3冊に渡る長編小説を本棚に並べてそれを読み切った自分を読書家としてちょっと誇らしく思ったり。

哲学書や専門書など、一見とっつきにくそうな本を置いてすごく勉強している気持ちになったり。(興味はあるが難しくて挫折するパターン多し)

読んだ本を通して見えない誰かに自分をアピールしているような感じと言おうか。

見栄を感じたモノは一度手放してみる

今回、たくさんの本やCDの処分(捨てるのはもったいないので業者に買取をお願いする)を決めたが、時々読み返す本や特別好きなアーティストのCDはいくつか残した。

いっそ全部手放してしまおうと思ったのだが、それは闇雲になんでも捨てるみたいでちょっと嫌だと感じたからだ。

処分する基準として、純粋に自分が好きだからというより、誰かにこんな本を読んでいるorこんな音楽を聴いている自分をアピールしたがっている感覚が生まれたモノから手放すことにした。

まぁ今は読まなく(聴かなく)なっただけで、当時はそれらの本やCDにお世話になったから邪魔者扱いは良くない。感謝して捨てようと思う。

本は好きだけど・・・

本を整理して感じたことはほかにもある。本が好きなことは素晴らしいが、本との距離感は大切かも、ということだ。

最近、書店にたくさん並ぶ本を見て少し胸焼けするような感覚がある。

情報の洪水というか。本だけに限ったことじゃないが、モノというのは「今のあなたじゃ足りない。こうすればあなたはもっと魅力的になれる」といったようなメッセージを発しているように思えてきたのだ。(このようなことは他の方もたくさん仰っているので、私が考え出したことではないが)

実際に書店や図書館にいる自分はいまいち冴えない人生を変えてくれる本を期待して探しているところがある。どこかにその方法が載っている本があるはずだと。

実際に一冊の本との出会いで人生を好転させるきっかけを掴む人もいるかもしれない。

でも、それって自己啓発書とか著名人の体験記といったずばり人生の指針について書かれた本よりも、なにげなく読んだ本のなかから見つかったりするのではないか。

最近、読書のテーマが人生とは?生きるとは?といった壮大なものになっていたので、それも悪くないがもっと気楽な気持ちで本を楽しみたいなと思う今日この頃である。

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