見出し画像

嫌いな話、苦手な事。 2022/11/26

どうしても、人と分かり合えないことって良くある、と思う。
それは、多分ただ歯車が噛み合ってないだけだと信じたい。
少し、物の見方が違っただけだと。

私は、他の人に「可愛い」とか、「かっこいい」と言われるのが好きじゃない。
趣味で絵を描いているけれど、それの絵柄に対しての感想なら嬉しい。
確かに、私の絵柄は可愛い寄りの絵柄だ、と。
確かに、今回の絵はできる限りかっこよくしたからなぁ、と。
自分の中で落とし込めるからだ。

ただ、自分の買ったものや、自分がしたくてやったことに対して、その感想を述べられるのは好きじゃない。
自分が「可愛い」とも「かっこいい」とも思わずに、「いいな、これ」で買ったものなのに、何故それを直ぐにその言葉等で押し込んでしまうのか。
自分がそう思わずに、効率が良くて、自分らしくて、自分が楽になれて、やっている事なのに、何故その言葉を投げられないといけないのか。
顔に直で食らって痛がっているのに、何故それに気づかないのか。
嫌だとずっと言い続けているのに、何故言われないといけないのか。

嫌になって、自己を守るためにそんな言葉をかけられないものを選んで、実践しても、その言葉はすぐにかけられる。
痛いから、痛いと言う。
やめてほしいから、やめてほしいと言う。
要望を出さなければ怒られ、要望を出せば水に流され忘れ去られる。
そして、何故言わなかったのと怒られる。
それは、自分が忘れてるだけと気づかずに。

それで、その言葉の基準について考えても、なんも変哲のない、ただの白が広がってるものですらその言葉を投げるものがいるのだから、もう何が「可愛い」のとか、もう何が「かっこいい」のとか。
考えるのですら面倒くさくなってしまった。
自分の基準に合わせたところで、最終的には誰かのそれに当てはまってしまう。

誰にも合わないものを考えるのは難しい。

そして、自分とは違う人間の見る世界を生き延びるのは難しいと実感した話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?