見出し画像

忘れない

こんばんは。


「こんばんは」を「こんばんわ」って書く人っているじゃないですか、


「こんばんわ」って、ちょっと気持ち悪く感じない?


あれ、私だけ???


そんなことは置いといて、

今日も私が考えていることを徒然なるままに記そうと思う。


「戦争を忘れるな」


この言葉を一度は耳にしたことが皆様あるのではないだろうか。


個人的な話だが、私は広島県で育ったこともあり、かなり平和教育を熱心に受けてきた。

戦争の悲惨さを痛いほど感じてきたつもりだ。


「戦争」を忘れない。


これはその通りだと思う。絶対に忘れてはいけないと強く思う。


ただ、ある小説で目にした、高校生の女の子2人の言葉にハッとしたことがある。


太平洋戦争について考えていた時の会話である。


「〜〜しょっちゅう言われるんですよ。忘れてはいけない、忘れてはいけないって。でも、私たち戦争とか体験してないし、おじいちゃんやおばあちゃんも戦後生まれだし、はっきり言って自分の人生にかすってもいないことを『忘れるな』って言われ続けてるんです。まあ言われるのはいいんですけど、じゃあ戦争のなにを忘れちゃいけないのかっていうと、悲惨だったねっていうこと以外は授業でもなんでも、あまり伝わって来なくて。」



そして、会話は東日本大震災への話題へと移り、こう続く。



「このあいだの震災も、そうじゃないですか。震災を忘れない、悲劇を忘れない、風化させない。忘れないって、なにを忘れなければいいんだろう、たくさんの人が死んだこと?地震や津波がこわいねってこと?電力会社や当時の政権の対応にまずい部分があったねってこと?いつまで忘れなければいいの?悲劇だったってことを忘れなければ、私や誰かにとっていいことがあるの?」


(中略)


「ここまで津波が来たから次の地震の時はもっと高くまで逃げなくちゃいけないとか。有名な大きな会社でもこんな不手際があるかもしれないから、チェックする機会を作らなきゃいけないとか。そういうのは教訓だよね。教訓は少しずつ社会の仕組みに吸収して、忘れるとか忘れないとかより、当たり前のものにしていかなきゃいけない。だから、忘れない、ってわざわざ力んで言うのはもやーっとして………死んだ人はくやしかったよね、被災者がかわいそうだよね、私たちみんな一緒だからね、みたいな感じでしょ。でも、戦争とか体験してないし、私は身内を亡くしたわけでも家が流されたわけでもないんだから、ほんとは全然一緒じゃない。だんだん、忘れないっていう言葉が、すごくうさんくさく思てきたの。」



すごく、すごくハッとした。


戦争を「忘れない」


それは当たり前のことだと思ってきた。


戦争を経験してきた世代が少なくなってきている今、

その声を聴くことができる私たちの世代が、

「戦争」を伝えることは使命だとすら思ったこともあった。


じゃあ、何を忘れたらだめなの?


そんなこと考えたこともなかった。


私が忘れてはいけないと思っていたことは、

この小説でいう「教訓」だった。


もし今私が死んでしまったとして、

大切な人に「忘れられる」というのはとても寂しく、悲しいことだと思う。


でも、小説の続きにあるように、

「なにを取っといてもらうか」それが大事だと思った。


こんな若いうちに死んでしまって可哀想、とかそういう暗い側面ではなくて、


「一緒にいて楽しかった」「きっと遠く離れていても元気だろう」


そういう思われ方がいい。


本当の絶望を経験していないが故の意見だろうか。



難しいね。


少なくとも私は、


この小説を読んで、新しい価値観を教えてもらった。


自分の思考が固まりかけていることにも気づいた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?