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3兄妹の不登校生活 振り返りと今 #2 家の外の世界

前回は、長男の家周辺での出来事でしたが、今回は、子育てサークル、幼稚園、小学校、という外の世界でのお話しを・・・。

10年以上前の話ですが、私たちの住む町には子育てサークルが数多くありました(今もあると思いますが)。長男2歳の頃、その中の一つに参加し、週に1〜2度、周辺の公園やハイキングコースを親子で散策しておりました。
お母さん同士お話ししながら。子どもたちも大人の目の届くところを1人で、あるいは友達と遊びながら歩きました。中には、お昼休憩の広場で、相撲なのか、取っ組み合いなのか・・・・そんな風にして遊んでいる男の子も。

しかし、うちの長男、基本私と手を繋ぎ、時には抱っこで、、、。毎週会うお友だちのはずですが、私のそばに居ることが多く、離れて遊ぶことはあまりありませんでした。

当時、そのことを気に掛けることはあまりなかったように思います。
たぶん、「まだ小さいし、こーゆー子もいるだろう」くらいの印象だったと思います。

子育てサークルには2年参加して、卒業。
幼稚園入園です!

異年齢でのクラス編成、決まりらしい決まりは無く、時間割りも無い。
そんな幼稚園。
長男にとっては、初めて、親と離れることになる時間がやって来ました。
離れがたい長男をみて、保育者も無理矢理引き剥がそうとせず、「長男君が安心して離れられるまで一緒にいて大丈夫ですよ〜」という感じでした。

入園当初は、「初めてだし、離れるの大変だよね」と思っていましたが、結局それは、卒園まであまり変わりませんでした。

幼稚園に慣れた頃であっても、他のお子さんみたく、親を後ろに残して教室に走って向かっていく、みたいなのは無く、必ず儀式(出席スタンプを押す、ロッカーにカバンをしまう、親とハイタッチ)をしないと別れなかったです。

前回書いた7ヶ月の別居が解消されたのは年長の5月。
その直前の春休みから、呑気症(息を呑んでお腹が膨れてしまう症状)でお腹の膨れ、下痢といった症状がありました。食も細くなり、身体も細く、体力も落ちていました。

※妹が同じ幼稚園に入園する時期で、「自分の場所に妹が侵入してくる」ストレスを感じているのでは無いか?と義母は推測していたようです。

呑気症もあってか、年長のころは幼稚園を休むことが増えてきました。
ですが、子育てサークルの時とは違い、仲の良い友達と元気いっぱい走り回ったりする姿もありました。

さて、いよいよ小学校入学!
1年生の1学期は、近所のお友だちと一緒に登校していました。
そして、2学期。
長男の通う小学校は、9月の末に運動会。なので、二学期が始まると、運動会に向けて動き出します。
すると、長男は行き渋りが始まります。

当時の私は「学校は行くもの」という頭でおりましたので、どうにかして行かせようとします。
友達との待ち合わせ時間に、私も一緒に登校
友達と行けなくても、私と登校
歩きたくなければ、車で登校
学校に着いて、離れなければ本人が安心するまで居てあげたい、と思いつつ、どうしても離れないと行けないときもあります。
「長女を幼稚園に送らないと・・・」

ある時、遅刻して学校に到着し、読書の時間だったと思います。
図書室に長男のクラスは移動していました。
先生に挨拶すると、なかなか長男は離れない。
すると、女の担任の先生は長男を(両手で抱きしめるみたいに)捕まえて「お母さん、行っていいですよ」と。
泣き叫ぶ長男の声に苦しくなりつつも、学校にいればどうにかなる、みたいに思い、幼稚園に向かいました。
行きたくない長男をどうにかして、時には叱り飛ばして小学校へ連れて行く・・・・。
そんな日々を過ごし、運動会当日。
やはり行きたくない長男を自転車の後ろに乗せて、学校まで走ります。
学校で下ろし、知っている先生に長男を託し、私は帰宅(運動会当日、自転車での来校はできないし、運動会の開始まではだいぶ時間があったので)。
たいして体育にも参加していなかったと思うのに、当日はダンス種目もそれなりにできていて、帰って来たら「楽しかった」と。
運動会終了後しばらくは、動画配信サイトでダンスで使ったMVを見て、自宅でダンス。楽しそうだったな・・・・

2学期になると「学校に行きたくない」と行き渋るのは2年生以降も続きました。
でも、2年生で担任となった男の先生は、運動会練習の体育に連れてこられた長男に向かい、目線を長男と同じになるようしゃがみ、
「お母さんは妹さんを幼稚園に送らないといけません。長男さんは、学校で待っていられますか?」
と問いかけました。

すると、長男は、コクリと首を縦に振り、穏やかに私に「行ってらっしゃい」と手を振るわけです。

この時、私は前年度の担任の対応を思い出し、ハッとしました。
自分の都合の為に、子どもの気持ちを確認することなく、どれだけひどいことをしてきたのか、と。

この男の先生は、2年時だけでなく3年時も受け持ってくださいました。
聞くと、「2年時は 長男、私(担任)と、近所の仲の良い男の子、の3人の関係性を築き、3年時は 近所の仲の良い男の子は別クラスにし、長男、私(担任)と、クラスの仲間との関係性を築けるようにしました」
と仰ってました。

親は、いつでも子どものことを一生懸命に考えていると思います。
その一生懸命は、時には子どもの気持ちを置き去りにしているのかも。
少なくとも、私はそうでした。
1年時の担任は、きっと、その私の気持ちに応えようとしてしまったのかもしれません。
2、3年時の担任は、私ではなく、長男の気持ちに向き合ってくださっていたのだと思います。
私は2、3年時の担任に向けて、連絡ノートをよく書いていました。
読み返すと、すごく必死で、私の考えたこと、感じたこと、反省点、など。。。。。
重っっ、て感じなんですが、、、、、
友人からは「長男には見通しが必要だよ」と言われていましたが、どうやったら良いのか解っていないのに
『友人から見通しが必要だと言われています』
とか書いちゃって・・・・・
苦しかったよね、私。


さて、3年生になった四月末、長男は
「今年の目標はね、休まないこと」
と宣言してくれました。
「去年と何がちがうの?」
と聞くと
「行きたくなくて休むんじゃ無くて、具合悪くて休むの」
「今のクラス楽しいから休みたくないんだ」
と。
まぁ、そうは言っても、行きたくない気持ちもあり、揺らぎながらも「楽しかった」と思えることもあり。

そして、記録を見る限り、運動会は安心して参加していて。
2学期を過ぎた頃に近所で引っ越しをし、その頃から家から1人で「行ってきます」と出かけ、「ただいま」と帰宅できることも。
そんな風に、他のお子さんよりもできるようになったのは遅くても、安心して行ける場所があって、安心して帰れる場所があれば少しずつの成長が観られた3年生でした。

さて、そうは言っても、たまたま安心して行ける場所と帰れる場所があっただけなんです。
本当に安心して過ごせる手立てに出会うのは先の話です。



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