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政治主義からアクションへの飛躍~『人新生の「資本論」書評➁』

3:政治は何も改革しない

本書の1番のメインテーマは、気候危機の克服ではなく脱資本主義にあると言える。これによって最初にもたらされる一大成果として環境問題の解消があるに違いない。

斎藤幸平は脱資本主義を実現させるために労働と生産の民主的な制度改革を訴えている。政治経済改革でも消費行動の変容でもない。働き方と作り方という社会の始点を変えることが、変革の波を生み出すという事だ。

ここが本書の最もユニークかつ鋭い論点だろう。下からの政治運動・アクティビズムが上からの政治改革を呼び込むことで、資本主義の超克を果たすというのが著者が描く革命のビッグピクチャーと言える。

この論考の中で最も鮮烈なのは政治主義への批判だ。

資本主義の土壌で育つ政治には、改革の芽が生まれようがない。
あのバラク・オバマでさえ、2009年のリーマンショック後には大恐慌をもたらしたメガバンクの救済のために莫大な税金をつぎこんだ。これが政治の限界なのである。

私は本書を読むことで、選挙に対してますます期待しないようになった。

コロナ禍の2年で、アメリカでは国民1人につき150万円が渡された。あのトランプでさえ手厚い給付金を配った。これが世界の常識だ。

一方、日本ではコロナの2年間で国民への無条件の給付金は1回限りの10万円。さらに、コロナ禍で自民党が絶望的な失政を続けたことで、多くの国民の命や生活が奪われた。

だが、2021年の総選挙では低投票率の中で、自民党がまたも圧勝することになった。

この選挙の異様さは日本だけの問題ではない。アメリカでさえ2020年の大統領選では国民のほぼ半数がトランプに投票した。
2022年5月のフランスの大統領選では、またもリベラルには縁遠い2人、マクロンとルペンの一騎打ちになった。これが選挙、ひいては政治の限界なのである。

選挙でこのような異常事態が起こる最大の要因もまた、資本主義にある。

主権者教育の欠如や政治リテラシーの欠如などは二の次のことだ。

民主国家の選挙がいつも異常をきたすのは、景気を良くすることが人の幸せにつながるというGDP神話があるためだ。グレタ・トゥーンベリが言うところの永遠の経済成長と言うファンタジーだ。

つまりは資本主義による洗脳によって、多くの国民は何の変革も起こさない政治家に投票するのである。

4:真の解決にはつながらないベーシックインカム

私はこの本を読むまで、自分の中に根付く政治主義にほとんど気づかずにいた。極端に言えば、選挙でリベラルな候補に投票するだけで、社会改革の義務を果たしたように思っていた。

この思い込みは結局、変革に対する怠慢さがもたらしたものだった。

政治運動を意味するアクティビズムという言葉には積極性という意味がふくまれる。資本主義の克服は、1人1人の小さな積極性から生まれるのである。

本書にはスウェーデンのような福祉国家もまた資本の元で利潤を分配しているに過ぎず、改革には繋がらないという指摘もある。福祉国家構想もまた、政治主義に閉ざされたものだ。

これはベーシックインカム批判にもつながる。

BIは国家財産という公富コモンを本来あるべき場所、つまり国民1人1人の元に還元するという意味では、斎藤幸平の掲げるコミュニズムと同じだ。

そして近い未来、BIは絶対不可欠になる重要な政策でもある。

しかしBIも福祉国家と同じく、資本の上げた利潤の元にある。さらに国家からの金銭的な贈与で国民は精神的に国に隷属させられてしまう。

斎藤幸平はBI反対論者であり、おそらくこういう考えもベースに持っているだろう。しかし、私は逆にBIは国家と資本の力を弱めるものだと思っている。これについては『力と交換様式』の書評を見て欲しい。


5:何もしない事より恐ろしい代償行為

SDGsへの批判が、本書の最もセンセーショナルな点だろう。ここでは環境負荷の転嫁がポイントになる。
要するに、車がEVになろうが石油がシェールガスになろうが、環境への搾取のやり方や場所を変えただけで何も変わっていないということだ。

転嫁とは代償行為であり、根本的には自己欺まんの恐ろしさを伝える。
つまり、それは現状維持のまま小手先の変化を起こすことで、根本的な問題解決から目を逸らすということだ。その先にはもちろん破滅が待っている。

変革を起こしているんだという自己欺まんに囚われることは、変革のために何もしていないことよりも恐ろしい。

なぜなら何もしていない状況の方が、変革を起こしていない事に気づきやすいからだ。変革を起こしているという誤った自意識があれば、その人は永遠に真の変革を起こそうとはしないだろう。

SDGsとはまさにこの点で恐ろしいものだ。グリーンニューディールもふくめそういった国家的な取り組みが転嫁・代償行為に過ぎないのは、それらが永遠の経済成長という資本主義神話の上にあるためである。

3に続く。


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