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国家権力を長期的に弱体化させるベーシックインカム~『力と交換様式』書評③

6:交換に伴う霊力に見るペシミズム

柄谷行人は本書で初めて交換様式Dについて本格的に取り上げたというが、具体的な明言はない。例として、大昔の遊牧民族の生活様式やキリストなど世界宗教の原初のあり方に重ねているだけだ。

そして他の交換様式ABC同様、人と人との交換に伴う観念的な力がDにも働いて人を従わせると見ている。それが本書の題にもある『力』であり、本文では霊的な力・呪力・物神・フェティシズムなどと記される。

柄谷は、人と人の間に起こる事から自然崇拝のアニミズムと区別し、重力や磁力のように初期段階では魔力と見られるものが後に科学的に解明されて実質的な力とみなされるようになるものだと捉える。

また人がABCの交換様式に苦しめられながらも、なぜそこに執着するのかについて、柄谷はフロイトの反復強迫をその根源に見ている。

人の無意識には死のリビドーがあり、それが内に向かうと反復脅迫になる。つまり、その継続的な自虐衝動が、交換ABCの反復、または資本=ネーション=国家の反復に繋がっているという事だろう。

柄谷の言う交換の霊力やフロイトの反復強迫とは、人がどうすることもできないものだ。そのため彼はただDの到来を待つしかないと結論付け、現状維持に落ち着く。

僕はそれを運命論的なペシミズムだと見る。

そして、その力はアニミズムと変わらない。人と人の間に生じる観念的な力だというが人もまた自然の一部であり、自然信仰を人間の精神的な現象にスライドさせただけのことのように見える。

霊力・呪力と書いている点も気になる。いずれ科学的に解き明かされる力という認識であれば、謎の力とした方がいいだろう。

7:圧力と臆病なプライドがもたらす自己欺まん


ここまで、僕は交換ABCや資本=ネーション=国家を反復させるものの根源に自己欺まんを見てきた。だがその起源には圧力と臆病なプライドがある。

人はなぜ、自分で自分をだましてまで交換の詐欺に自発的に引っかかり続けるのだろうか

それは国家の圧力があるからだ。真実は常にシンプル。ここにこそ諸悪の根源がある。

人は圧力にさらされて抵抗をあきらめると、それに自発的に従うことで圧力がないように振舞う。この自己欺まん・小説『1984』のテーマになった二重思考は、臆病なプライドがもたらす。

多くの人が権力に自発的に服従するのは、
プライドを保つため
倫理的な自己正当化をしたいため、
また権力と争って周囲から疎外されたくないためだ。
これが臆病なプライドだ。


自己欺まん・二重思考に陥る心理過程の第一は問題をアイマイにする。問題の本質に正否が矛盾する2つの要素を置き、自分の態度を明らかにしない。

しかし実際は現状維持につながる正の方を選び、そこで無意識的に本音と建前の転倒を起こす。つまり、本当に思っていること、真実と思われるものを建前・きれいごとにし、ウソ偽りを本音だと思い込むのだ。

圧力と臆病なプライドがもたらす服従層の自己欺まん・二重思考は、このように現状維持・悪循環をもたらす。


冒頭に書いたマスク忖度で言うと、多くの日本人はマスク着用が公共の福祉に役立つという建前を持ちながら、実質的な効果がないという本音も持つ。これが大多数の共通認識だ。

だが、そこで多くの人はこの2つの矛盾する思いを等しいものとし、態度を明らかにしない。さらに実際はマスク着用を選んだ自分を正当化するために、無意識的に本音と建て前をひっくり返す。

つまり、多くの人は、マスク着用は実質的な効果がないかも知れないけど、ある程度は公共の福祉に役立つだろうという意見を発するようになる。

この矛盾する要素の虚偽等価からの虚偽選択こそ自己欺まんの心理過程だ

8:国家権力がもたらしたネーション幻想

国家の圧力と服従層の臆病なプライドが、交換様式ABC、資本=ネーション=国家の反復の根源にある。

『力と交換様式』の中でも示されているよう、今まで世界史の中では資本主義や国家が消えた時代もあった。だが、多くの人がその状況下でも自発的に経済活動を続け国家に仕えることで、それらは存続した。

柄谷行人は、そこに交換に伴う霊的な力を見ている。

だが、僕はそこに単純に国家の圧力を見る。
正確に言えば資本に仕える国家の圧力がある。
それはなくなったばかりの状況下でも、圧力の余韻を与えることができる。人はそれに屈して、資本と国家を存続させたのだ。

例えば厳格な主人に長く飼われていた犬が、主人の死んだ後でも自身が死ぬまで行儀よく振舞うことなどとも共通することだ。

フランス革命後に生じたネーションも同様。暴政の歴史が長かったため国家権力の余韻が残り、新支配層は国家にひどく忖度した国民像を作り上げた。

そしてプライドを保つため、実際はそうでないと知りながら自分は友愛と自由に満ちた市民――ネーション――だと思い込む自己欺まんに陥ったのだ。

僕はこういった所に資本=ネーション=国家の起源を見る。

9:国家権力を長期的に抑圧するベーシックインカム

交換様式ABCと資本=ネーション=国家を克服するにはどうすればいいのか。
それは資本と国家が弱体化した状況を長期的に作ることで、多くの人を国家の圧力の余韻から解放する事から始まる。

そしてその第一歩としてベーシックインカム(BI)がある。

BIの最大の価値とは、
資本に仕える国家の圧力を大幅に弱め、
さらに長期的に続ければ
その余韻さえ弱めることができる点にある。
その果てに資本=ネーション=国家の克服が見える。

ルトガー・ブレグマンは人類の性悪説に最大の問題意識を持って、「Humankind」を書き上げた。

僕もまた同じ立場である。これはベーシックインカムの導入における最大の障壁でもあり、ここが克服されれば、初めて社会民主主義の試みが始まると言える。

カギはサンフランシスコのようなアメリカのリベラルな巨大都市でのBI社会実験で人類の性善説が実証されるかどうかにかかっているだろう。

あるいは自然災害や第三次世界大戦によって、先進諸国でも絶対貧困率が半数を越えるような緊急事態になることでもある。

そういった事があれば国家レベル、世界レベルの社会民主主義が初めて実現されるかもしれない。交換様式Dとはシンプルに言えば愛である。

それは柄谷行人が言うよう人為を超えた神の意思ではなく、それを真に切望する大勢の人々の尊い熱意によってもたらされるものに違いない。■

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