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垢抜けないってどういうこと?オタクのルックス問題

 皆さんは「オタク」にどのようなイメージを持っていますか。

「恋人がいない」「コミュ障」「陰キャ」…おおむねその様な印象でしょうし、オタク側も自負(自虐)しています。そして中でも「見た目がダサい」のが特徴として挙げられるのではないかと思います。

 もちろんオタクの中にはびっくりするくらいおしゃれな人もいます。全員が垢抜けないわけではありません。二次元が好きか三次元が好きか、界隈によってもだいぶ変わります。ただ、電車の中でちょっと見た目がオタクかもしれないな、って人を見るとカバンにラバストがついていたり、リズムゲーをやっていたり。同じ匂いを感じる人ってちょっと見た目にも表れているんですよね。

 そこで、ある日目に止まったのはこちらのはてなダイアリー。少し話題になって私も読んでみたら、思い当たる節が所々に散らばっており胃の底が重くなるような感覚に陥りました。

32歳腐女子自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなる

 こちらを拝読し、自己を省みて、ああ悲しきかな「オタクはなぜ垢抜けないのか」について、月並みですがある程度自分の考えが纏まったのでこちらにつらつらと書いていきたいと思います。自分語り多めです。

おしゃれにリソースを割かない

 おそらく最も一般的な理由はこれでしょう。おしゃれに時間もお金もかけない。あるいは最小限。コンテンツの優先度が高すぎて、他のものが無関心になってしまう。あるいは、おしゃれをするよりも好きな作品に触れている方がずっと幸せだから、おしゃれをする理由がない。

 これは最も健全な理由と言えると私は考えます。いえ、件のはてなを読むまでは私はこれが唯一の理由と考えていました。例えばスポーツが好きだからアニメに興味がない。読書が好きだからドラマを見ない。好きなものに優先度があって当然ですし、趣味に貴賤はありません。誰かの好きなものを否定して「なんで〇〇も知らないの?」と咎めることはナンセンスです。

 32歳腐女子さんの話は、もっと深刻なオタクの「勘違い」に触れていて、なかなか痛いところをついていました。以降は私の個人的な体験談も交えて導き出したものです。

「自然派」という勘違い

  カラー、パーマ、縮毛矯正は髪に悪い。メイクは肌に悪いからしないほうが良い。おしゃれと称して作り込むものは大体からだに悪い。これは知識として概ね間違いではありません。ただ、最低限のケアにして「ナチュラル」を大事にする。それを過度に信仰してしまう人が、オタクにはそこそこいるのでは…と思います。そこそこいる、と断言してはいけませんが、あのはてなの「ナチュラルメイク」のくだりで私にはザクッと刺さってしまいました。

 この「ナチュラル信仰」にはどのような背景があるのでしょうか。

「盛る」ことへの異常な嫌悪感(学生時代)

 私の通っていた中学・高校では染髪・パーマ・ピアス・メイクが軒並み校則で禁止されていました。校則を破ってまでそういったおしゃれをする子たちは、揃いも揃って成績が悪く、人間性もなんともいえず、悪目立ちする子が多かったのです。少なくとも私の高校(自称進学校)では。一方で成績優秀者はスカートこそ長くはありませんでしたが、身体を加工するおしゃれは絶対にしませんでした。そのため、当時は割と本気で「おしゃれにリソースをガンガン割く女はバカ」と思っていました。自己顕示欲もありそうで苦手でした。

 また「黒髪の方がモテる」「すっぴんが別人だとドン引き」という女性のおしゃれに関する男性の意見を鵜呑みにしてもいました。ナチュラルな雰囲気の女性がモテるのは事実かもしれません。でも私はおしゃれをしない理由として、あるいは上述の「バカ」と違うから、自然が一番!と考えていました。あと脱線しますけど流行に飛びついてばかりの女もバカだと思ってました。

 そうして起こった悲劇が「ナチュラル信仰勘違い」です。ナチュラルは地顔がかわいい人や生まれながらに艶々の髪を持った人には問題ないかもしれませんが、私は違いました。剛毛・癖毛なのに頑なに縮毛矯正を拒否して、何を施しても芋くささが抜けませんでした。高校卒業から数年後、初めて縮毛とカラーをかけたところ「こんなに変わるのに、なんで私は否定していたんだろう」としみじみ悲しくなりました。お金がなかったのも理由の一つだったんですけどね。

「全力のおしゃれ」のハードルが低い

 上述とも関連しますが、私はおしゃれをしない状態がデフォルトだったのでちょっとおしゃれしただけで「がんばった」「人並みに可愛くなった」と勘違いしていました。普段はヘアアレンジをしないから、くるりんぱをしただけで「がんばった」。いつもはアクセサリーをつけないから、イヤリングをつけるだけで「今日の私はめちゃくちゃおしゃれ」などなど。

 ですが世間はそんなに甘くありません。ヘアアレンジをしてもおくれ毛がバサバサだと芋くさいですし、アクセサリーもつけてるだけで服とのベストな組み合わせを毎回ちゃんと考えているわけではありませんでした。自分のがんばった≠世間一般から見てもおしゃれであることに、私は気づくのに数年かかりました。

オタクグッズがダサさに拍車をかける

 グッズの中にはアクセサリーなどもあります。同人でイメージアクセを販売しているジャンルもありますね。特に現場があるものにはまっている人だと、キャラクターの概念アクセサリーなどを会場につけていくのもまた楽しみの一つです。私はハンドメイドも好きだったので、イメージアクセをだらだらとネットで眺めるのも大好きでした。

 しかし、ある日衝撃を受けます。某2.5次元ミュージカルのライブに友達に誘われて初めて行った時のことでした。会場で目にしたお客さんの中に、BOOTHで見たことのあるイメージアクセをつけている人が目に入ったのです。

……ダサい

ネットで見た写真ではすごく素敵なデザインだったのに、うまく言葉にできないけどとにかくおしゃれではないんです。はっきりとは覚えていませんが人がつけてるのを見るとこんなにダサいんだとびっくりした記憶があります。

 イメージアクセをつけている人を見ると、推しのことが大好きなんだと微笑ましく思えて楽しいです。どんなアクセサリーをつけるのも自由で、自分が楽しいと思えることが一番です。でも冷静に考えて、同人アクセより、たとえ安物でも採算を見込まれてデザインされている一般向けの既製品の方が、遥かにデザインとしては優れている。その日からそう思うようになりました。

 また公式グッズもだめです。オタクは、推しイメージならなんでも買うだろと舐められています。推しイメージのシュシュ、冷静に考えてちゃおの付録についていてもおかしくないな……と私はある日突然目が覚めました。しかし公式グッズがあったら是非とも身に付けたいオタクはこの罠にハマってしまっています。

人の目を気にしない

 コスプレしている人を除けばオタクは自撮りをあまりしないことが多いのではないでしょうか。イベントも単独行動、あるいはオタク同士で遊びに行っても顔を写さなかったり、資料だ〜〜〜!!って言いながら天井の写真を撮ったり。「ピープル」に認識されている人が自分や友達ではなく推しの画像ばかり……という方もいると思います。

 大学2年の時に、海外にホームステイしました。不本意ながら(テンションが上がって)自分の写真を撮ることが多く、そこでたくさんのことに気づかされました。無意識に写真に撮られた時、人と並んで写真を撮った時。記念に自撮り。

表情が死んでる。姿勢が悪い。目つきが悪い。

自分ではそれなりに笑顔のつもりでも全然笑っていない。コミュニケーションが苦手で〜と自虐で何度も言うことはあったが、冗談ではなくこれでは人も寄り付かない。姿勢が悪いと何もかもダサい。早急に対策せねばと強く感じたのを覚えています。

 自分の写真を撮るのがあまり好きではなくても、定期的に写真に写ることが私は必要だと感じました。他人にどう見られているか、それを気にしすぎるのもよくないけれど、全く気にしないのも知らないうちに幸せを逃している気がしました。

垢抜けるって何?

 私は「手入れが行き届いていること」だと思います。反対は無頓着。眉毛は定期的に整える。髪は日頃のケアを忘れず、お出かけの時にはおくれ毛を整える。爪はピカピカ。指毛がない。美容に膨大なお金をかけていなくても、とにかく細かいところまで身体のあちこちに気を配り一手間をかけることが、垢抜けの秘訣ではないかと結論を出しました。そして自分に似合うものをつければ、その時はおしゃれ上級者なのではないかと考えます。

終わりに

 自分で思ったよりも長い記事になってしまいました。もし最後まで読んでくださった方がいたら、お付き合いいただきありがとうございました。

 そして私はオタクの見た目を垢抜けない、イメージアクセをつけるのはダサい、と示すようなことを書いてしまいましたが、オタクを、イメージアクセを否定するものではありません。おしゃれや体の優先順位が下の人を貶めるつもりも全くありません。イメージアクセをうまく取り込んでいる方もいらっしゃいます。

自分がこれで良いと思っていたものが、冷静に考えると全くそうではなかった。

かつてしていた勘違いについて自戒を込めて書いた文章になります。

私自身垢抜けている部類ではありませんが、以前より謙虚になれたことだけははっきり言えます。これからもオタクライフ楽しんでいきます。



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