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秋葉山本宮秋葉神社【静岡・浜松市天竜区】

こんにちは『神社アベニュ~』の20.315です!

赤石山脈の南端、秋葉山(あきばさん)の頂上に鎮座する秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきばじんじゃ)にやってまいりました。

夕暮れのマジックタイムが過ぎる頃だったので、薄暗い中、長い階段を上りつめたところに、金色の鳥居が現れます。

ヘッダー写真は、境内から浜松市内を遠望したシーンです。
金色の鳥居と市内の夜景がめっちゃきれいです!

↓ 参道もご覧のとおり、灯篭に灯がともってロマンティックですね。

秋葉山本宮秋葉神社-2

写真がきれいなのは、決して20.315の撮影技術が優れているわけではありません。Galaxy(カメラはソニー製!)のおかげです。Galaxyで撮った写真は、マジできれいです。

さて、本題の秋葉山本宮秋葉神社のことです。

由緒、由来は古代にまでさかのぼり、少々複雑さを伴います。

三尺坊(さんじゃくぼう)。

といっても、令和の私たちにとってはあまりピンとこない史実です。

信州・戸隠に生まれ、修験道を極めて神格化された僧侶、それが「三尺坊」。

かれは幼少の頃から修行(何と4歳から!)し、修験道の聖地である、この秋葉山、越後の栃尾山、そして比叡山その他でも経験を積みました。

最終的に秋葉山に落ち着き、その地で「秋葉大権現」と呼ばれ、遠州天狗の総帥となり、地上90センチの上空を飛んだ(!)とされます。

オウム真理教の教祖みたいですね。というか、オウム真理教が、修験道や真言密教などを参考にしてできた新興宗教だったわけですが。

90センチ=三尺だから、三尺坊。

秋葉山本宮秋葉神社-3

社伝によれば、創建は和銅2年(西暦709年)。
その後、仏教(主に真言宗)や修験道との融合が重なり、江戸期には「秋葉大権現」として全国に知られます。

創建時代の頃は秋葉山そのものが信仰の対象でしたが、神仏習合時代に三尺坊への信仰も重なります。ここから、信仰の対象が三尺坊(秋葉大権現)そのものへと進化します。

明治に入ると、「秋葉大権現」は神仏分離により大論争となります。
秋葉大権現は神様なのか、それとも仏様なのか?
結果、元来より秋葉山は「火伏の神様」として信仰されてきたことから、カグツチ(=火之迦具土神=ひのかぐつちのかみ)をご祭神として定め、秋葉大権現は別のお寺に遷されました。

また、それ以前に秋葉神社の本宮は、この遠州の秋葉山なのか、越後の栃尾秋葉山なのか、についても大論争になり、

「こっちが本宮に決まっとるがな!」
「しょーもないことゆーたらあかん、こっちが本宮や!」

論争の結果、この2つの神社が本宮となりました!

喧嘩両成敗、ですね。

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↑ 東京・秋葉原。※2018年撮影。

「秋葉原」という地名は、秋葉大権現に由来していることは有名。といっても、嘘からでたまこと、みたいな話です。

江戸は昔から火事が多かったんですが、この秋葉原一帯は火除けとして空き地(原っぱ)だった所に、明治になって鎮火社を建立。

ご祭神は別の神様だったにもかかわらず、江戸でも秋葉大権現の信仰が強く、民衆はこの社を「秋葉様」「秋葉大権現」と呼んで厚く信仰したために、ここが「秋葉神社」と誤解。誤解がそのまま突っ走り、後に「秋葉の原っぱ」となり、現在の地名「秋葉原」が誕生しました。当時は「あきばはら」だったそうです。

さて、本宮である秋葉神社ですが、周囲は素晴らしい自然に囲まれています。参道の所々では、運がよければニホンジカやお猿さんにも出会えます。

浜松にお越しの際はぜひ、ご参拝を!

【基礎データ】
■創建 和銅2年(西暦709年)。奈良時代。※伝承
■祭神 火之迦具土大神(ひのかぐつちのかみ)
■住所 静岡県浜松市天竜区春野町領家841
■HP 秋葉山本宮秋葉神社

※写真は全て20.315が撮影。





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