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岩倉・西賀茂-冬の記憶-

 京都遊覧記第17回。執筆が遅れたので、冬の記事を新緑の季節に書いています。今回は、雪の降った京都を旅します。

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いつものようにルートを。今回は、歩く距離が長かったです。なぜ、自転車で旅をしないのか、とツッコまれるかもしれませんが、やはり京都は歩いて街並みを楽しむことも一興。

1.雪が織りなす庭園美

 最初に訪れた寺院は実相院。実相院は門跡寺院(皇族・公家が住職を務める寺院)の1つ。狩野派の襖絵や後陽成天皇や御水尾天皇の書が所蔵されており、文化財の観点から見ても非常に価値のある寺院だ。そして、瑠璃光院が代表的な例である、「床もみじ」発祥の地とされている。訪れた時は雪が降りしきる冬だったので、「もみじ」ではなく雪景色が反射していたが、落ち着きある美しさが感じられた。文化財保護の観点から「床もみじ」の写真撮影は禁止されているが、心に残る景色であることは間違いない。

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ずっと雪が降っていたので、防寒バッチリ。

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いかにも重そうな雪がずっしりとのしかかる。時々、雪がどさりと落ちる音が心地いい。

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見渡す限り、雪。2枚目奥にかすかに見える山が比叡山だ。洛北は雪が降っていると予想して大正解だった。

岩倉周辺で雪が広がる庭といえば、やはりここだろう。妙満寺、「雪の庭」と称される松永貞徳が意匠を凝らした庭がある。

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空は少し晴れ模様。しかし、雪はまだ解ける気配を見せない。

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積もりすぎて庭が見えないよりは、適度に積もっている庭の方が庭本来の姿を楽しめる気がする。俳人・松永貞徳が作り上げた大小の石が織りなす美に、雪が衣をまとわせたようだ。いつまでも眺めていられる。

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妙満寺には、とても大きな塔がある。インドに建つブッダガヤ大塔をイメージして、建立されたそうだ。何といっても迫力がすごい。まるで異国に来たかのようだ。
ちなみに、妙満寺にはさらに面白い寺宝がある。紀州道成寺に伝わる安珍清姫伝説で登場する鐘が所蔵されているのだ。経緯を紹介しておこう。

 正平14年(1359)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を盛大に営みました。すると、その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消してしまいます。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られました。
 それから200年あまり経った天正年間、その話を聞いた「秀吉根来攻め(1585)」の大将・仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰り、妙満寺へと納められました。
                   ーーー 妙満寺公式ホームページ

当時の人にとって祟りは相当恐ろしい存在であったらしい。

2.比叡山を借景に望む

 妙満寺から少し歩くと、次なる目的地、圓通寺へ辿り着く。御水尾天皇が造営した幡枝離宮が元となった。何といっても比叡山を借景とした枯山水庭園が特徴的である。

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ヒノキとスギの合間から見える比叡山。ただただ比叡山を眺めることだけに特化した庭園のように思える。後水尾天皇はここから比叡山を眺めて、何を考えていたのであろうか。ただじっと景色を眺めてじっくりと考えることが、現代では重要ではないだろうか。是非、訪れてほしい。

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まだまだ雪は積もっている。雪はまた降り始めた。

最後に訪れた寺院は圓通寺からかなり西に進んで西賀茂に位置している。

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正伝寺に到着した。雪は止み始めた。そろそろ解け始めるか。

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山門から少し山を登ると、本堂が見えてくる。

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比叡山を借景とした「獅子の児渡しの庭園」だ。落ち着く空間を与えてくれる枯山水と雪のコラボ。雪は止んで、空から晴れ間が差し込む。
余談ですが、正伝寺には血天井がありました。関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍の攻撃を受けて落城した伏見城の遺構が移されています。京都には養源院、源光庵、宝泉院にも血天井があります。

近年は、以前より見ることの少なくなった雪の京都。また今年も出会えますかね。それでは、また。


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