価値の高い賃貸住宅をどう作るか。 真似事の劣化品より、異質で特徴的な物件を作る意義。
これまで僕自身、RC住宅も、木造建築も、師匠と自身のデザインを合わせた
物件を作ってきました。
そしてここからさらに、更に異質で特徴的な住宅を作ってゆきます。
世間に賃貸住宅は既にあらゆる面の高騰から、安く作ることは極めて困難
そのような中でも、やはりつまらない住宅を作る工務店は数多く存在します。
そして、住む人の動線や生活環、豊かさのイメージを
増幅するような物件はもはや存在せず、真似事の劣化品でも売れてしまう。
そんな場面を近頃多く見かけることから
疑問を抱く出来事が多く起こっています。
工務店、ゼネコン、デザイン会社の自分よがりの物件が世間に蔓延る
どこかの真似事、どこかでみたことのある、どこにでもある内装、デザイン、そして皆無の空気感。 そのような建物は、僕らは絶対に作りません。
世間の工務店、ゼネコン、デザイン会社はありきたりなものしか生み出せない。
新機軸、新しい発想、違う角度から捉えることができる人は
ほぼいません。
だからこそ、僕らはそこを目指して、日々毎日、感覚感性を磨いています。
誰かが作ったものを見ても仕方がないということです。
見ている、感じているものは、もはや自然環境のみという心境、状況です。
物事は市場にないものをいかに見つけるかに掛かっている。
今までないもの、あったらいいな、そのような物件は中々作れません。
理由は事例、実例がないからです。
ただ、あるとしても、真似ることしかできない事がほとんどです。
僕の師匠は、芸術家兼職人。コスト計算までできる日本で、類まれな存在。
デザイナーは、デザインはできるけど、コスト、積算算入できません。
設計士は設計はできるけど、住む人の感覚感性を考えて
設計に落とし込むことはできません。
建築する会社も、デザイン、設計、それら感覚的なものを生かしたモノづくりはできません。
作る時の収まり、施工時の閃きとアイデアをその場で活かすことは、作る人自身がデザイン、設計、施工まで一人でできなければ不可能です。
それが出来る。 だから類稀。 意匠とはそのような独自価値の塊です。
市場にないものは、誰も見たことのないもの、そして見たことのない衣装が生まれる。師匠はそのような表現をデザイン、設計、工程管理、施工、業者職人手配、自分での加工施工もこなします。
だから無いものが生まれます。 そのようなものづくりは、感覚感性の成長に伴い、表現されるのです。
だから、いいものを作ろうという概念から生まれません。
生まれたものが、いいものであるということです。
作った瞬間、似たものは存在しない、だけど真似される。それは良いと思われるから盗まれる。
それは仕方のない世界。
世間に存在しないものを作って見せた瞬間、それは盗まれる対象になる。
良いと思われるから、そうなる。
しかし世間はそうやって、様々進化しているもの。
だけど、師匠の物件だけは、盗まれての劣化品になってしまう。
作った時の意図、心境、作る過程で生まれる新しい施工技術、整えられる意匠のバランスなどまで、コピーできないから。
世にない良い物件を作ると、そうなる。
仕方のないこと。
それは、存在意義が認められたことと等しい。真似されるのは、面倒なのだけども。
異質で価値の高いものづくりを通して、刺さる人にだけ刺されば良いという概念。
どこにでもある物件は、多少の差別化を行なったところで、何も意味をなさない。
僕はその真意を理解しています。
僕だって、自分らしい物件を無数に作ってきたし、進化してきた。
師匠のアイデンティティに、僕のエッセンスを加え、変化を形にしてきた。
だから認めてもらってきた。
センスを超えるセンスを身につけて、感覚感性をより高めてきた結果。
誰の作ったものも参考にしないからこそ、感じてきた結果、僕の物件も生まれてきた。
師匠と同じ答えとして
刺さる人にだけ刺されば良い概念、しかし、今はこれを超えて
自分たちが表現できる、成長した証を建物、環境で表現することだけ。
それが異質で、世間の目に、極めて価値が高いと認識されることが
思いと等しいと感じる世界の話。
芸術的な話になるけど、僕らの開発はそのようなもの。
だから、入居率も関係ない、入居促進も関係ない。
満室が常に求められる、そして常に満室だから。
世間の答えは出ているという感覚です。
僕らは満室にするのが目的ではないから。
生きた証を、環境を構築することで、成長した表現を遺す事が
役割の一つだから。
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