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映画制作日誌(撮影期間編・音楽)|独白、クラクラ

とても個人的な話をしようと思う。映画制作の日誌というよりは、これは私の個人的な記録で、映画の話よりは音楽の話の方が多い。そしてとても赤裸々だ。
でも撮影期間のことを振り返ろうとしたとき、どうしてもこの話をせざるを得ないので。


9月14日

クランクアップの次の日。初めて、共同生活している宿で1人になった。私は9月頭に宿に来たから、約2週間ぶり。
1人になって襲ってくるのは、ひたすらに、怖いなあという感情だ。

何が怖いのか。
自分の中の何か大事な部分が侵食され、刺激され、塗り替えられるこの感覚が、だ。

なぜ怖いのか。

私はクランクアップの一週間後に大学院の試験を控えていた。勉強は思うように進んでおらず、落ちたらどうしようかなぁとずっとぼんやり考えていた。みんなは既に就職が決まっていたり仕事があったりする。でも私はまだグラグラだ。
作曲も、あまり上手くはいっていなかった。思えば、大学に入ってからずっと課題や締め切りに追われている。グラグラというより、クラクラ。


グラグラ、クラクラ。

そして、グラつく私は、急速に引っ張られることになる。
撮影現場の雰囲気に、映画と創作のことしか考えない生活に、仲間たちの創作に臨む姿勢に、日々の密度に、飲まれて落ちていく感覚。
別に私の今後の生活が180度変わるとか、そういう類のものではないのだろう。でもこの生活と何気ない会話を通して、私の中で何かが静かに熱を帯びて、小さく小さく弾ける感覚があった。

そして私を小さく小さく変えていく。もしかしたらささやかな、けれど自分の中身のどこか重要な部分が、いとも簡単に、急激に変わっていく。
そのスピードに、私の気持ちはまだ追いついていないようだった。

だから怖い。

何が変わったかはまだあまり言語化できない。というかしていない。
ただ、きっと私はこれから、生活の中に映画を必要としていくのだろうなと思った。
そういう2週間だった。

このあと、みんなは元の生活に戻って、卒論や仕事に追われて、来年になる。そのことも考える。

9月末某日

大学院に合格していた。
受かると思っていなくて、現実逃避をしたくて、この日は映画館に駆け込んでいた。
気になっていた映画を見終わって、席を立つ前に、スマホで合格発表を見る。一瞬息が詰まって、フーッと息を吐いて、とりあえずみんなにLINEしようと思いながらスクリーンから離れる。
連絡し終わってから、映画館を出る。

その日は、夜同じ映画館でもう一本映画を観てから帰った。

10月9日

相変わらず、色々なことに追われる日々。
本当は、映画館で映画を観て喫茶店で本を読んで、ひたすら音楽を聴きながら3時間くらい歩いて帰りたいのだけれど。残念ながらそれはまだ難しそう。

少しだけ時間が経ったので、この夏のことと私自身を少し振り返ってみる。
あきらは、「もう既に”あの夏”になりつつある」と言っていた。そうかもしれない。季節もいつの間にか変わったみたいだし。

撮影の疲れと睡眠不足と日々の不安にアドレナリンで辛うじて打ち勝っていたあの生活は、悪い夢だったと言われても納得してしまいそうだ。
だけどスマホの中には、撮影期間中の写真と動画が1000枚以上。

どうやら夢ではない。

そういえば、この制作日誌の題名の括弧の中、自分の役職欄に私は「音楽」と書いたけど、私は撮影期間中にキャンバスの音楽を作っていたわけではない。何をしていたかというと、別に私でなくても良いような役割をふんわりと担っていただけだ。具体的には、メイキング動画の撮影とスクリプター、あとは細かい雑用を少々。(スクリプターとは、現場の様子を写真や動画で記録して、後から小道具位置や俳優の動作、台詞に矛盾が起きないように確認する仕事のこと。)

ついでに私は、もえこ語で言うところの「観測」に当たるような写真をスマホで撮るのが好きで、何かある度にみんなの姿をパシャパシャと撮り、何かがなくたって、例えばみんなが深夜の京都を歩いている後ろ姿なんかをこっそり撮ったりしていた。
そんな訳で、たった2週間で約1000枚の写真が私のスマホのフォルダに収められることになったのだ。

久しぶりに、写真や動画をゆっくりと見返してみる。
"あの夏"は悪い夢のようで、劇薬のようで、だから詳細に思い出すのには少しだけ勇気がいる。

そう、劇薬。ぴったりの言葉な気がする。
何に効くかは人それぞれだろうけど、でも毒でも薬でもあるような、どちらにもなり得るような、"あの夏"はそんな時間だったと思う。
劇的で、苦しく、でも欲してしまうような。
劇薬を一度飲んだら、簡単にはその効能は抜けてくれない。


劇薬の効能についての話。
9月に感じた「小さな変化」のことは未だ言語化していないのだけど、10月になって、色んなことを思い返して、分かったことがいくつかある。


自分は、自分が思っているよりも音楽が好きだったということ。
自分は、自分が思っていたよりも「創作をする人間」だったということ。
そして創作をする人間として、映画に関わっていたのだということ。

これまで、私はどのくらい音楽が好きなのか、実のところあまり分かっていなかった。私と音楽は、切っても切り離せないような強固な関係性なのか。自分にとって音楽は、本当にそこまで重要な存在なのか。それが時々分からなくなった。
そして撮影期間に改めて実感した。創作はやはり苦しい。みんな苦しいんだな、ということも肌で感じた。けれど、撮影期間とその後のいくつかの会話を通して、あぁ私は音楽が好きだなぁと、何度も思えたのだ。

私には音楽が必要だ。そしてそれを教えてくれたのは映画。
だから、私には映画も必要だ。それが嬉しい。

当たり前に、自然に、私は一生音楽と縁を切れない。
この映画が、そうはさせてくれないだろう。
そう思えた。

劇薬は、毒にも薬にもなる。
でも私にとって効き目抜群の薬であることは間違いなかった。

10月末某日

すっかり秋。撮影期間の振り返り日誌と称して自分のことをつらつらと書き連ねてきたけれど、読み返すと流石に少し恥ずかしい。

さて、いよいよと言うべきかようやくと言うべきか、音楽を作り始める段階に来た。あの激しい夏を越えて、私の役割はここからが本番なのだ。
(よく考えれば、私はまだ特段この映画の役に立っちゃあいない。)

本格的な編集前の映像を見ながら撮影期間のことをもう一度思い出して、つくづく特別な制作だなぁと思う。なにせ、音楽担当者が映画制作に初期から関わって、脚本を練る会議や撮影に参加して、なんならカフェ店員役として映画に映るなんてこと、普通では考えられない。
本当にありがたい体験。


今更プレッシャーに押し潰されそうなんて弱音を吐いている場合では無い。
いや、自分が良い音楽を作れるのか、本当はかなり怖い。とても怖い。

でもあの撮影期間を経験した私が、世界で1番この映画に相応しい音楽を作れるのだと錯覚することにして、過信してみることにして、魔法みたいな音楽….を作れるとは言い切れないけど、

それでも、音楽と私が、映画にできる最大限のことを、祈りを込めて。


2022.10.31 ななこ

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