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映画制作日誌(撮影期間編・妖怪)|濃厚接触と副反応

撮影期間(8月23日〜9月13日)を振り返る制作日誌、3本目。萌恵子です。

「監督」「助監督」と続いて私。さて、どんな役割名を書こうか。
これまで事務やら、観測者やらと名乗ってきたのだが、今回はそうは名乗れない。
というわけで、タイトルの役割欄に2文字書き入れるまでに軽く20分。
こんな調子で書き切れるかどうか甚だ不安だが、まずは撮影期間、私が何をしていたかを。

私のしごと。
皿洗いをしたり、米を炊いたり、モノを探し回ったり、ゴミを集め回ったり、小道具の準備をしたり、忘れたり、なんだり。
機材のことは一切わからない、重い荷物は運べない、おまけに屋外だとすぐに干からびる。

考えてみれば、なぜ現場にいるのか最もわからない存在だったと思う。
なんの目的で……?
自分自身でさえ、未だにうまく言語化できない。

当然だが現場では、監督は監督の仕事を、カメラマンはカメラマンの仕事をする。役者、撮影助手、録音技師、録音助手、助監督、美術監修、ヘアメイク……みな「自分の仕事」の領域と、それへのプライドを持っている。
そんな人たちに囲まれながら、私は一種のプライド(のようなもの)を持って「皿洗い係」を名乗り続けた。
そして、「妖怪皿洗い」と呼ばれた。



9月13日のクランクアップから、既に1ヶ月以上が過ぎてしまった。
記憶が鮮明なうちに、リアルタイムで生の感情を書こう、そう言って始めたはずの「制作日誌」だが、こんなにも時間が空いてしまった。これでは「日誌」ではなく、「回想」だ。
しかし私にはこの空白の時間がどうしても必要だった、というのは言い訳……ですね。

振り返るには、記憶があまりにも強すぎたのだ。
真夏の炎天下で、太陽を見上げることはできない。それと同じように、特殊な、鮮烈なこの夏の記憶は、直接思い起こすにはあまりにも眩しかった。
キラキラしていて美しいとかいう眩しさとはまた違う。その場にしゃがみ込まざるをえないような、直射日光の痛さがあった。

スケジュールやタスクや、感情の荒波が絶え間なく押し寄せ続けた撮影期間。

撮影期間が始まるまでは熱心に、不気味なほど熱心に続けていた「観測」も、肝心の撮影期間は完全に中断してしまった。

注)「観測」:監督の発言をひたすら記録すること。観測と言えば聞こえはいいが、実態は公然ストーカー。撮影前のドキュメントはすでに8万字を超えていた。



「長かったようで短かった」という陳腐な表現で収めてしまうのは勿体ない気もするけれど、それ以外形容できないようにも思われる撮影期間。
目の前のこと、――比喩ではなく、物理的にも目の前のこと――をやるだけで必死だったから、お家芸のはずの内省をねちねちとこねくり回す余裕もなかった。


そしてバタバタと、しかし静かに迎えた「クランクアップ」。
それを境に、撮影現場を共同生活空間を、妖怪のごとく徘徊する生活が、ぱたりと終わった。

メンバーにもあまり言わなかったのだが、実のところ、クランクアップ以降、私は天井を見上げるだけの日々を随分過ごした。
慣れない環境の疲れが後から襲ってきたからだろうか。
それとも、急に訪れた独りの時間をどうしたらよいか、困ってしまったからだろうか。
色々理由はあるが、嵐が去り、独りになってはじめて、撮影期間のあれこれがフラッシュバックするようになったこと。これが最大の原因のように思う。



撮影期間、私は何をみていたのか。

その記憶を辿ろうとしても、断片でしか思い出すことができない。
観測に失敗したのだから、当然といえば当然だ。
しかし、色も場所もその時の感情も、まるごと思い出せるような、あまりにも強烈な断片もいくつかある。


みたもの。

衣装に養生。
キャンバスにひっつき虫。
バインダーに点丸シール。
食べ残しのどんぶり。
ガラスコップによそわれた白米。
屋上の柵。
コンクリートの砂粒。
読み方がわからない歌手の、読み方がわからない歌。


そして。

一人ひとりのプライドをみた。
それぞれの「つくる」をみた。

映像、音、演技、メイク、絵画……と、彼らは言語以外に表現する術を有している。
日本語以外持ち合わせていない私には、それがとても特別で、格好良く、少し羨ましく映った。
彼ら自身のなかには、自分のものとしての「つくる」があった。
そして、撮影が進むにつれて、徐々に映画『キャンバス』に、それぞれの「つくる」の理解と実感が溶け込んでいくのを感じた。
同時に、『キャンバス』の側もまた、彼らに「つくる」観を与えていたようにも思う。

しかし、彼らもみんな人間だった。
できないことがあった。
余裕が無くなれば苛立つし、上手くいかない日はわかりやすく空気がピリついた。

収容生活とも言い換えられるような、決して楽ではない共同生活だった。
けれどそのおかげで私は彼らを、これ以上なく信頼した。

「つくる」というのは、やはり生活と結びついているものらしい。
つくる人に焦点をあてた『キャンバス』で描こうとしているものは、どうやら筋違いでもなさそうだ。
私たちは、自分たちの生活でそれを確かめていたような気もする。
「期間中に撮りきれるのか」「撮りきれたとして、映像として繋がるのか」さまざまな不安が襲いかかってくる中で、そうやって何でもかんでも意味づけをして自分たちを励まそうとしていた節もあるけれど。

そんな生活のなかで、じぶんたちの「つくる」が伸び縮みする感触があった。
撮影が進むにつれて、いつの間にか映画の中の世界と自分たちとの境界が曖昧になった。
「つくる」をテーマにしても許されると思えるほどには、「つくる」と向き合っていたはずだ。
脚本制作時点では「自分たちはつくり手を名乗っていいのか」と葛藤していたことさえ忘れていた。

映画で描けるものは、良くも悪くも自分たちの中からしか出てこない。
もしそうだとすれば、まだ見ぬ完成形の『キャンバス』で映し出される彼は屹度、ちゃんと「つくる」人だと思う。



「大学生活最後の夏休み、自主映画をつくっています」


と言うと、多くの人からキラキラしてるね、青春だね、というような言葉をもらう。
しかし実際は、そんな爽やかな煌めきとは無縁の、生ごみの香り漂う生活だった。

忘れられないいくつかの光景を、みた。

「自分はなにも出来ない」という歴然とした事実を、みた。
積極的に見たいとは思わない、自分の出来なさや弱さを、目をこじ開けて見ざるを得ない日々だった。

いろんな人の「つくる」を、みた。
その人本体に立脚した「つくる」を知った。
そして『キャンバス』のなかの「つくる」が徐々に”作り物”ではなくなっていく過程を目の当たりにした。

たいせつにしたい言葉をもらった。
「不思議な生命体だ」
「あなたにとっての『つくる』は言葉なんじゃない?」
「もっと失敗しなよ」
「じゃけぇ」


ぽっかり日常から乖離した、あの不思議な期間が私にみせたものは、何だったのか。

自分という妖怪の姿。
「つくる」人の実像。

直接みるには少々刺激が強かったが、自分に必要な刺激だったのかもしれない、とも思う。
この夏、私は自分に、他者に、「つくる」人に、人間に接近した気がする。



2022.10.27  萌恵子


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