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20221024 大丈夫と言ってしまう癖

今日は朝、とてもメンタルが落ちていた。
ひとりで泣きながら、生きるのが辛いなぁと
ぼんやり思っていた。


だからといって生きないという方法は
選ばない、と決めている。


昼になり、少し調子が戻ってきて
ホッとしている。


今朝、思ったことを書き残しておく。


どうして私はいつも
「大丈夫なふり」をしてしまうのだろう。

病気のことも「つらい」と言えない。
誰かに迷惑をかけたくない。

私が大切な人につらい、と言えばきっと
大切な人をつらくさせるのではないか
と、思っている。
または、拒絶されてしまうことが怖い。


それは病気のこと以外もそうだ。

だから、1人で気持ちを抱えて
周りには平気なふりをする。

そして、元気そうだね、良かった!
とか言われて、悲しい気持ちになることが
過去によくあった。

もちろん、相手には悪気はないと知っている。
でもこちらは歯を食いしばり、必死に自身を
保っている。

元気そうに過ごしている人が
元気だとは限らない。
私も、周りで生きている人も。





話は変わり
一緒に暮らす、鳥の容体の話。


私は文鳥という鳥と暮らしている。

そのうちの一羽は長い間、病気を抱えている。
少し前に、お別れを覚悟するくらいに
悪くなった時期があった。
今は少し持ち直して、多少落ち着いている。


日々揺れ動く、命の炎に私の心も情けない
くらいに翻弄されている。

ここ数日は、ご飯を食べる時以外は
じっとして目を閉じていることが増えた。
眠っているのだろうか。
少しでも苦しくなければいいと思う。

1年前、半年前、1カ月前、1週間前と
ゆっくりと、でも確実に病状は進行している
様子がよくわかる。


ここ数日は呼吸がしんどいのか、上を向いて
過ごす時間が増えた。
顔色はまだチアノーゼというほど悪くは
なっていない。


日中も夜中も、出来るだけ
手のひらに入りたがるそぶりを見せたら
抱いて、身体を撫でる。
すると、目を閉じてゆっくりと身体を
預けて眠る。


この小さな身体で
懸命にただただ
生きようとしている鳥が
少しでも穏やかに過ごせるように
私が何かしてあげられることは
他にないのだろうか。

一緒にいる時は幸せだけど
そのぶんお別れは本当に辛い。


それを知っていながら、命と暮らす。

どうしてかはわからない。
生き物を飼う、ということが
人間のエゴでしかない
ということは理解している。


けれど、縁あって迎えた命。
私は私のできる限り、それに寄り添う。
そうしていたいのだ。

今日、10月24日は「文鳥の日」だ。


何故今日なのかと言うと
人間に慣れた文鳥は手が大好きだ。
わが家の文鳥たちも、しばしば私の手の中で
落ち着いて寛いでくれる。
文鳥たちは人間の手のひらに幸せをくれる。


手(10)に(2)しあわせ(4)

それが今日、制定された由来らしい。


いつも手にしあわせをありがとう。
その信頼を裏切らないように私は
文鳥たちのことを大切にしたいと
いつも思っている。

そして、その存在に自分は支えられて
いると知っている。

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