【画廊探訪 No.089】両手で包む生命の温もり ―――『XYLOLOGY――木学』<01 起源と起点> 永島信也出展作品に寄せて―――
両手で包む生命の温もり
―――『XYLOLOGY――木学』<01 起源と起点>
永島信也出展作品に寄せて―――
襾漫敏彦
ホムンクルス(人造人間)は、多くの物語のモチーフとして様々なメディアで扱われている。その源流を尋ねれば、錬金術師のパラケルススの遺した書物『ものの本性について』に遡る。それは、球状の実験器具の中でのみ生きれる儚い存在である。
永島信也氏は、美少女を意匠として、根付をはじめとして掌(タナゴコロ)にのる程度の作品を制作する。木や鹿爪を素材として、リューターを使って微細な形状を彫りおこす。それは、象牙細工の工芸品を彷彿とさせる。彼の作品制作は、ルアー作りから始まったと聞く。両の手の間で誕生する生命の模写(ミメーシス)。それは、水の中では、生き物の連関の中で躍動する。
左手と右手の間で、生けるものの姿を写しとり形を造ろうとするとき、僕らは、造ったものの持つ世界の深みへと引き寄せられていく。生命の創造と謎、可能性と禁忌、全ての存在を造り出した神に似せて造られたと語られる人は、それ故に生命を創造する欲望を捨てきえないのかもしれない。とは言え、生命が物として扱われる時代、人類は神の如く敬意や慈しみをもって、その生命に接することができるとでも言うのであろうか。
永島氏は素材そのものが持つ色調を生かして彩色はしない。それは、木や鹿爪のもっていた生命を作品の中に残していくことに通じている。そして、彼の造形は、全体に球体の作用が満ちているように思う。それは、蕾、卵、フラスコ。侵しては、全てを失う境界。
他者に対する畏敬の念というべきものが衰滅しようとしている今日、物の中に生命を見出そうとする芸術の表現は、新しい可能性のひとつかもしれない。
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花影抄での永島さんの紹介です。
ネットにあがっているブレイク前夜の動画です。