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旧暦五月十五日、6月20日、

 旧暦、五月の望の日は徳島県の阿南市椿では「お伊勢さんの田植」と称して一般の田植えを遠慮していたそうです。どうも、五日が忌み日であるのと同じように十五日を忌むべきとして避けていたようです。

 沖縄地方でも「稲の穂祭」としてこの日に行っていたそうです。女性が田植えの前に穢れを祓う斎戒を五月忌み、として五月四日に女の節句としていたところもあるようです。

 菖蒲や粽、また五色の布もそういう魔除けの風習からきてもいるようです。

 戦国時代の楚の家臣の屈原が絶望して、失意のうちに汨羅江に身を投げたのが五月五日と伝えられ、それが端午の節句の始まりという話もあります。

 雨は望ましいものでありながら、洪水や氾濫、またさまざまな病気の温床にもなり、そういうものと数理的な発想が結びついているのかもしれません。

 

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