見出し画像

【画廊探訪 No.129】 冬の海面に漂うイカロスの羽 ――久保田潤個展「日の巡り」に寄せて――

冬の海面に漂うイカロスの羽
――久保田潤個展「日の巡り」(表参道画廊・MUSEE F)に寄せて―――
襾漫敏彦

 展示室に足を踏みいれようとしたとき、霧が白く立ち込めているようだった。青を薄く基調として描かれた作品は、白い壁の部屋の中で、あたかも白い雲の裂け目から現れた青空の欠片(かけら)のようであった。
 ぼんやりとして先も見えない白昼夢のような人生の航路の中で、それは時に見える希望、もしくは見失いかけた自分なのかもしれない。

 久保田潤氏は、油彩を軸にして、空気のような青を基調とする絵を描いていく。彼は、デザイン出身であったが、かつては、広告業界で活躍していた。盛りあがる景気と共に活動していた彼は、自分の身体と精神に向きあうこととなる。そして彼は海辺に移り住み、再び絵筆をとる。

 一見、海辺の風景に思える構図は、輝きをおとしたマッドな作品に仕上げられて心象的な趣きが加えられていく。久保田は、油彩にアクリルを加えたり、支持体もキャンバスだけでなく加工した板を組みこんだりする。板の上に彫り込みを加えていくカーヴィングは、海面にひろがる波の動きを絵の中に投映させていく。

 様々な要素を、舞台の上に積みこんでいく手腕は、伝えるものは、見えるものとは限らないことを久保田が熟知しているからろう。かくして、画面に現れた絵像を媒介として、支持体の手触りが伝えられていく。

 高みへ高みへと飛び続けたイカロスは、日輪の熱によって羽をもがれて失墜した。もしイカロスが神々の赦しによって天上の世界に受けいれられたら、イカロスはひとでなくなる。自分でないものになって自分を失うのと、自分のままで、自分を失うのと、どちらが幸いなのだろうか。その答えを知っているのは、青空を映している波打つ海面なのかもしれない。

***

久保田潤さんはnoteにも書かれています。

湘南の今をつたえるPADDLERには、詳しいインタビュー記事もありましたので、添付しておきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?