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【画廊探訪 No.001】世界は諸力の均衡の中にあり、人は美をもって、乱れの儚さを語る       ―岳画廊『武田州左展』に寄せて――

 国立は、僕等の青春の街であった。木造の駅舎をでて、僕は国立に住む鷹見明彦、高橋敏、そして武田州左氏等と落ち合い青春の一時を過ごした。時代が大きく変わりはじめる一九八〇年代後半のある春の日、一橋大学構内のしだれ桜の下で、僕等は集まった。時は花の下でとどめられ、悠久の風景の中に僕等は融けていった。それから三十年以上の時が過ぎた。高橋敏は、日本の外へと逃れ、鷹見明彦は、今もう居ない。僕は、国立の岳画廊で開かれた武田州左展に出かけた。

 武田州左氏は、日本画の画家である。彼は岩絵具で張りをもった線を、交わらぬように並べては幾重にも描いていく。それは、あたかも、大地を割って流れる川の如くでもあり、天空を駈ける星々の動きのようでもある。早逝した画家を父として持つ武田氏は、抗(あらが)いようもない運命、必然というものの力の連環を画面に刻むのだろう。そして、融かした大地の色彩を、そこに流し込んでゆく。

 僕と高橋氏と共に『砂州』の同人であった鷹見明彦氏は、美術を愛し続けた。その彼は、石を好んでいた。河原で拾ってきた石を私に手渡して、これいいだろうと語ったこともある。大きな流れの中で、転がされながらも抗い岸に流れ着いた石に何かを見ていたのだろう。

 武田州左は、秩序の構図の中に、それを乱していく表現を描き加える。彼は、それを明日への継ぎ手として、更に新たな秩序の線に挑んでいく。かくして彼の絵は、時間という地形に従っては、重なりあうように移ろいでいく。今回の個展では、岩の絵具が、原初に回帰するように大地の粒子の質感が顕れていた。それは衰えゆく肉体の襞にようである。
 
三十余年、時の流れとともに鷹見氏は世を去り、国立はかっての姿を失った。州左の展示に、『砂州』の最後の同人が、今日、訪れる。

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武田さんは、今は多摩美の大先生ですが、みんなみんな未熟な若い頃がありました。思い出も、踏まえた一編です。


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