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【画廊探訪 No.100】問いかける、ここに現れる、私が、 ――松岡円香個展(羅針盤ギャラリー)『SHAPE OF SPIRITS』に寄せて――

問いかける、ここに現れる、私が、
――松岡円香個展(羅針盤ギャラリー)『SHAPE OF SPIRITS』に寄せて――
                    襾漫敏彦
 近代絵画の父とも評されるセザンヌは、印象派、都会の生活を経て、故郷のエクスへと隠棲する。神の創造した世界の模写から脱却して見たままの描写を始めた美の潮流や人との交わりを棄てて、私が本当に見ているものを求めていったのだろう。そして、彼は、エクスで、サント・ヴィクトワール山を描き続けた。
 松岡円香氏は、岩絵具を使って風景を描く。色を置くその筆の流れは、洋画のようでもあり、セザンヌやヴァロットンを思い出させる。そして、巨大な作品、球を模した円形の作品、木枠を施された四角い商品を作るが、そこに彼女は岩絵具を厚めに立体感を含ませた表現も加える。入江長八の鏝絵を想像させたそれは、土を使って世界の中に含ませた新しい存在なのかもしれない。

 私とは何者か、これは自分自身であろうとするときに、どうしても避けられない問いである。自分を疑いはじめたとき、無限の後退、堂々巡りがはじまる。大きな沼が口を開ける。深く沈みゆく恐怖の中で、近くにあるものを安易に手にしたとき、あっという間に、外部の鎖にしばられる。時と場所に限定されている自分の実体の枠をとらえようとしたとき、それを位置づける無限と永遠への理解が必要になる。それを人は〈神〉ともいう。
 本人の背丈ほどもある作品は、重く描きこまれた近景と遠景よりなる。近景は、彼女が対面した世界の、自然の、神のペルソナである。遠景は総体、全てなのである。
 三位一体は、ひとつのものの三つのあらわれなのである。一日に、朝と昼と夜があるように、父と子と精霊は、一つのものである。そして、それは記憶と知性と愛でもある。彼女の作品も、彼女自身の現われであり、対面することで現われる彼女のペルソナであり、大世界のペルソナである。だから、その絵は窓であり、天空であり、イコンであり、そしてパンセなのである。

 サント・ヴィクトワールを描き続けるセザンヌ、その心の内は、窺い知ることのできるものではない。けれども幻覚の中での生に巻き込まれていく現代社会の中で、セザンヌの流れを感じさせる作家達が現われはじめたことは偶然でないかもしれない。見えるものを通して見るべきものを求めたセザンヌ、それでも真理にかすっただけなのかもしれない。けれども、それは一粒の種となって、幻の中でも、自分を信じぬこうとする若きアーティスト達という実りになっているように思う。


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9月20日より京都で個展をなさるようです。



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