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【画廊探訪 No.005】        いにしえの朗らかな歌声にまどろんで ――七人展 黒住和隆出品に寄せて――

いにしえの朗らかな歌声にまどろんで
―――七人展 仏教美術 木彫 能面 神楽面
             黒住和隆出品に寄せて―――
                            襾漫 敏彦
 高岩寺会館で行われた七人展に行ってきた。この若き和の工(つくりて)達を率いる黒住和隆氏の作品は、釈迦如来、不動明王、地蔵菩薩等である。若い木に彫られたその容貌は、がっつりとして鼻が低く大きい。作者によれば、鎌倉以前の唐・新羅の流れを汲む仏像を手本にしているそうである。
 乱れは、多くのものを巻き込みながら、銘々を引き裂いていく。源平争乱を通して、日本はひとつとなり、新仏教が開花する。仏教が、個人の救済の問題としてとらえられるようになり、そして仏像も、そのような要求に導かれて表現されていく。多くの識者は、それを良しとする。しかし、それは、乱れによって、人が仲間と共に住まう温床から連れ出され、自分の運命を自覚せざる得ない境遇に追いやられたからである。捨てられた個の叫び声が、新仏教を引き寄せたのである。
 乱れの以前、仏教は、未だ引き裂かれぬ空間の中にいたのである。神も、仏も、人も、一つの空間に生きていたのである。伝教大師は、日吉神社に仏教隆盛を祈願し叡山に草庵を結ぶ。叡山の僧兵は神輿をかつぎ、興福寺の悪僧は神木を運ぶ。平安時代までは、神も仏も人も、同じ心持ちで生きていたのである。
 黒住氏は、個すら引き裂かれる現代において、もっと原初の時代に求められた仏像の表現に、伸びやかな人の姿を見んとしているのではないだろうか。
 これは穿(うが)ちすぎかもしれない。しかし、彼の手になる釈迦如来像の落ち着いた佇まいに、仏像のむこうにあるべき人の自然な有り様への彼の信念が感じられるように思う。やはり、これも穿(うが)ちすぎかもしれない。


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私は彼とのであいによって多くの仏像の美術の世界に導かれました。多くの仲間と繋がりながら、一人ひとりをつなげていくその力には感嘆しています。

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