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【画廊探訪 No.141】理想と真実の隙間を問うて――若手四人展「交点」 八木沢靖子出品作品に寄せて――

理想と真実の隙間を問うて
――「交点」アメリカ橋ギャラリー若手四人展
     八木沢靖子出品作品に寄せて――

襾漫敏彦

 球体関節人形というものが、美術界のひとつの明確なジャンルとして承認されはじめたのは最近のことであるといってもおかしくない。その表現の中には、美の裏側にあるもろさ、痛み、偽善といったものが潜んでいる。そこが、化粧という外向きの姿を強いられている女性の心の琴線に響くものがあるのかもしれない。

 八木沢靖子氏は造形作家である。人体表現に重きを置く学風の中で、彼女は即物的に思えるフォルムの作品を追い求めた。八木沢は色をもつ粘土を水に溶き紙に浸してそれを重ねることで形をつくり焼成した。骨格であった紙が火に焼かれて消失し、土がミルフィーユのようにそうとして重ねられたものとして残る。それは、どこか粘土でつくる塑像を想わせよう。
 作品は窯から出るなり剥落しては予想を裏切る形にもなる、それは、あたかも裁きの場で剥がれていく仮面のようなものである。八木沢の作品は、物のもつ構造に含まれる隙間をもうひとつの骨格として表現している。

 八木沢は東京造形大学に進学する以前の高校の頃、球体関節人形を作っていたそうである。様々な装飾を人形の素体に重ねていく。それは、化粧のように何かを表しながらも同時に隠していく作業でもある。理想に近づけば近づくほど、心の奥底では、本来の姿に引き戻される。人は神の似姿をもって造られたという。けれども神でなく土塊である。受肉の真実と虚構の隙間が、人体制作の場では作者につきつけられる。

 ハンス・ベルメールはキリストの肉体の苦痛を表現したイーゼルハイム聖壇画に魅せられたときく。球体関節人形、粘土、人体表現、それは重ねられたものの隙間でつながる。それこそが、八木沢にとっての受肉の苦痛なのかもしれない。

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