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展示感想:和光大学卒業制作展【はなればなれハレバレ】

和光大学卒業制作展【はなればなれハレバレ】に行ってきました。

 入り口から、燃えた木の香りがしました。伊藤源氏のインスタレーション<聖者>です。


 彼は、廃棄予定の端材をもとに、内から着火して火鉢のように火を起こして作品を作っています。
 それは、木のもつ命の燃焼を表しているようですが、会場の木製の床から生えてきているようでもあり、地下茎で結びついているようでもありました。内部生命の表現でしょう。
 日本の浪漫主義の源流にある北村透谷は、自由民権の活動に交わり、八王子から神奈川を行き来します。そのルートの近辺ともいえる和光大学の卒業展で、新しい<内部生命論>を見るのも不思議な気持ちになります。


聖者

蘇雅さんの作品は、石の中に階段がある作品です。それが仕込まれた、鏡と相まって不思議な印象でした。

戸惑 蘇雅

 現実とバーチャル、政治と社会、交わるような交わらぬような、そんな世界を表しているのでしょうか。
 この階段は、銀座の奥野ビルの不思議な階段を思い起こさせてくれました。


福永武彦『草の花』をモチーフにして、秋葉梨香さんはインスタレーションを発表していました。

福永武彦『草の花』

 月のようにひかるライトと、背景のように流れる海の音で、包み込んで、書のページをめくっていく体験を空間に再現したものです。
 読書とは、作者の体験と自分の体験がむずばれることとして、それを空間に投影することで、<結び>の瞬間の感動を伝えようとしています。
 面白いのが、感動を伝えようとする熱い欲求と、読書という静かな内的体験が交差しているのも興味深いです。

 日本画の大場あゆさんは、興味深い作品でした。

白を泳ぐ

 立体の木の枠にしか見えないのですが、この枠の内側をキャンバスとして、図像が描かれています。(ちなみに箱の底にある方形の部分は壁で作品ではないです。)

 日本画というのは岩絵具を使う表現の一般ですが、その伝統的な作品の表現の方法として、空間を曲げるように描くとでもいうべきものがあります。実物はそうではないが、あり得ない方向に曲げていくそんな感じです。一種の騙し絵の表現でしょうが、それも全体として見ると不思議な趣があります。
 大場は、これを拡張して、表現空間を曲げることで、支持体の中に湾曲を入れていきます。美術空間の相対性原理のようにイメージしてもらうといいかもしれません。


 本人に、「これを日本画ですと言って、卒業展に出しますと言ったら、お前、本気か、と言われたでしょう」と聞いたところ、「結構いわれました」とカランカランと笑ってました。
「見事なバカですね」というと、「褒め言葉、ありがとうございます」。

 今まで具現化されていなかったことを、新しい形で表現して行くのが、表現者です。
 <何、これ>といわれるくらいでないと、生涯をかける営みにはなかなかならないと思います。

 新しい生命は、どこから萌いずるか、未来は現在より、より客観的なもの、オブジェクティブなものとして世界に投げ出されているのです。


 今週の日曜までです。僕は第二会場に行きましたが、二つはかなり離れていますので気をつけてください。


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