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【画廊探訪 No.048】俊寛の角(つの) ――叶隆史作品に寄せて――

俊寛の角(つの)
――《高津紘一師一周忌追善》若き面打ち二人展・叶隆史作品に寄せて――

   襾漫 敏彦
面を鑑賞する世界に足を踏みいれたばかりの私にとって、俊寛の面を間近にするのも、初めてである。院政期の歴史に興味を持ち始めた頃の疑問の一つが、俊寛とは何者か、であった。そして、今日、目の前の俊寛の額には、小さな突起があった。
 「これは角(つの)ですか」
私は作者に問いかけた。

 叶隆史氏は、経験を重ね、紆余曲折を経て、面打ちの世界へと飛び込んだ。革を扱い、人に給仕し、渡世の中で、出会い語らった多くの顔の向こうに、何か験(しるし)を見たのか、「面」に出会い、高津氏の門を叩いた。
 骸骨、癋(べし)見(み)、河津、平太、彼の面の作品群は、何かに囚われた存在が多いように想われる。そして、表面には、削り、剥ぎ落としたような色彩を施してある。どこか、石の面を想像させる。雨に打たれても、風に叩かれても、剥ぎ落としても、繰り返し繰り返し浮き上がる最後の執心のひとかけらを思わせる。
 世に善人であるだけの人は、まず、いない。善人であろうとする分だけ悪の形を残している。正しくありたいとする欲が、いつも人をまきこみ、陰をひきよせる。
 平太や河津の呆けた表情の奥にある執着。執着の涯てに疲れきった人々の顔を、叶氏は見てきたのであろう。私の問いに彼は答えた。
「これは鉢巻を支えるものです」
 他愛もない。しかし、角と思ったのも故なきことではあるまい。彼と私の感受性の何かだと思う。彼や新井氏、そういう若き人の生を塗り重ねる事で、能面は深みを、増し、また能面も、関わる人を育てていくのであろう。俊寛の角は弟子に遺した師匠の心かもしれない。

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叶さんのサイトです。

動画も見つけました。リンクをペーストします。


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