見出し画像

「Stand By Me ドラえもん2」観賞から自らを省みる

本記事は、映画本編ネタバレの恐れがありますのでご注意ください!

昨日、息子と共に映画「Stand By Me ドラえもん2」を鑑賞した。ドラえもんの映画を映画館で見るのなんていつぶりだろう?と思うくらい、久しぶりのドラえもん観賞だった。

感想を一言でいえば、まさに「ドラ泣き」だった。
いや、正直ここまでドラえもんの映画に感動させられるとは私自身思ってもみなかったのだ。感情が希薄なのかそもそも映画を見て感動して涙すること自体、私にはこれまでめったになかった。(感動しないわけではないが、涙という形で感情が表に出ることが少ないという事とご理解ください。)

そんな私が感動して涙した訳だ。これは振り返らないわけにはいかない!と思い、今日はこのことについて「なぜそうなったのか?」「私はこの映画鑑賞から何を学んだのか?」を書いていきたいと思う。

私にとっての感動ポイントとは?

私が感動したのは、映画のクライマックスとも言える「のび太のスピーチ」のシーンだった。彼は過去の自分を振り返った(というより、実際にはタイムマシーンで今さっき見てきた過去をスピーチの場で振り返った。)。そこには「のび太」らしい彼自身の不甲斐なさや赤裸々な想いが織り交ぜられ語られていた。それらは彼らしいエピソードでありながらも、私はまるで私自身のことであるかのように感じられた

のび太は最後に家族、友人たちへ感謝の言葉を述べた。期待外れに育ってしまった自分を暖かく見守ってくれた事への感謝。あるがままの彼を受け入れてくれていることへの感謝。このシーンを見た時、私の眼には涙があった。

なぜそうなったのか?

私はこのシーンを見ていたとき、心の中で私自身の結婚式のことを思い返し、それを映画のシーンに投影させていた。

思い返せば私も「のび太」と変わらないダメダメな幼少期を過ごしていた。友達との付き合い方、勉強・運動に対するコンプレックス。まさに「のび太」そのものだった。自分の不甲斐なさをどこか親のせいにし、周囲のせいにし、日々私自身が持つコンプレックスと戦っていたように思う。

そんな私も「のび太」と同じように結婚式の日を迎えることになる。結婚式に至るまでの道のりは長かった。幼少期・10代の頃の私は自己肯定感が低く、結婚できる日が私の人生に訪れるとは夢にも思っていなかった

社会人になり少しずつダメな自分の性格も許容できるようになってきた。こんな私であっても笑顔にできる人がいる、周りで支え、応援してくれる人がいる。少しずつ自分に自信が持てるようになってきて出会ったのが妻であった。

原因こそ映画のシーンとは違えど、私たちの結婚式当日も何かとバタバタだった。ある種のトラブルにも見舞われた。それでもその日を乗り越え、先日8度目の「いい夫婦の日」を迎えることができた。

私はドラえもんを見て育った。小さい頃に見ていたドラえもんの中の「のび太」はポンコツそのものだった。アニメのシーンと言えど、彼が成長しこの映画の中で立派にスピーチをする姿は、まるで私自身のようにも映った。まだまだ未熟。だけど何かしら一歩大人びた姿。それに私は感動したのかもしれない。

私はこの映画鑑賞から何を学んだのか?

感動の一方で私は、自分自身の結婚式で「のび太」のように、ここまで感謝の気持ちをうまく伝えることができただろうか?とふと感じた。

結婚式を迎えた頃の私は、「のび太」のようなダメな部分を抱えつつも、30代も過ぎて、ある意味社会のイロハもわかるようになっていた。そのため、どこか自分への自信のようなものも持ち合わせていたようにも思う。両親や親友からのお陰もあるが、自分自身が特に社会に出てから努力してきたから今がある。とどこかで思っていたように感じる。今思えばまだまだ謙虚さに欠ける態度だ。

思い返せば結婚式に限らず、仕事の場面、家庭での場面とそういったどこか謙虚さよりも自信が幅を気かせていたなと、今更ながら気づいた。やっぱり私はまだまだ青二才だ。

映画とは関係がない話になるが、ちょうど昨年の今頃読んだThink Civilityという本のことを思い出した。「礼儀正しさ」こそが最強の生存戦略だとこの本は説く。40歳を迎える私は、改めて「礼節さ」について考え、これからも誰かの役に立ち続けられる人でありたい。そんなことを胸に刻み、このnoteを閉じたい。

ありがとう、ドラえもん。そしてのび太✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?