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ルスカス

先月中旬に、秋の花と一緒に購入したルスカスという葉。長持ちすることは簡単に調べて感じていたが、どう長持ちさせるのか、ハイドロカルチャーにできるのか、朝からもう少し調べた。

ルスカスは、正確には葉だけではなく、葉の真ん中に裏表とも小さな花が咲く植物。うちのルスカスは、葉先や葉の真ん中の触覚のようなものが、少し傷み始めた。

調べていると、置き場所が明る過ぎだと思われた。まだ少しリンドウの蕾があるので動かさないつもりだが。今日はとりあえず、あまり明るくない。

水挿ししても発根しない植物のようなので、ハイドロカルチャーは無理だと判断した。近いうちに花瓶のまま自室へ持ってくるかと思っている。花瓶を倒さない工夫も考える必要はありそうだ。

そんな調べものの最中に、思わず笑ってしまった楽しいルスカスの記事に出会えた。そのページが楽しかったので、思わず「戻る」ボタンで目次のページへも行き、他の記事もいくつか読んでしまった。

今どきなら「多分私しかやってない」「やってみた」とハッシュタグを付けるのだろうと思う面白さだった。気合を入れて何かをした結果ではなく、日常生活の中でそれが行われてきた様子なのが楽しい。

何より、頑張った結果ではなくても、「多分私しかやってない」ような、日常というのはクリエイティブなもの、ということを感じられた。

インターネット黎明期を感じさせるページのデザインだが、実際に黎明期の記事も含まれていた。ルスカスだけではなく、コンシンネやアサガオ、ユリの話も楽しかった。文の軽妙さも楽しかった。

植物の話ばかりでもなかった。視力の話の中にTeXテフの話もあった。数式を入力するために理系の論文作成に使われたものらしい。読むとHTMLのタグのようなものがたくさん書かれていたが、プログラミング言語のように見えて、よくわからなかった。

昼食時、夫にルスカスの育て方の話をしたついでに、TeXの話を振ってみた。夫はTeXを使った世代より少し下らしいが、昔のワープロでは、Σシグマやべき乗などが入力できなかったために使ったもの、という説明だった。

入力できない文字の代わりに、HTMLタグのようなものを入力しないといけなかった、ということらしい。

特殊な記号だけではなく、グラフィカルではないテキストでページレイアウトもするので、全体的にはプログラミング言語に置き換えながらテキスト入力するような仕様、ということのようだった。

ちなみに、夫は一太郎を使い、べき乗のような小さな文字にも対応する時代だったらしい。

私は、ワープロ専用機を使ったことは少しあるが、詳しくなるほどに使うことはなかった。一太郎も簡単に教わった程度。花子を使うことはなかったと思う。ドロー系アプリなことも忘れていた。

長く育てられたルスカスの記事を夫に見せたが、面白がるより「枯れているんじゃないか?」と一言。どこからを「枯れている」と表現するのか悩む植物ではありそうなのだが。

他のサイトで調べていても、長持ちしていると表現するのか、枯れかけていると表現するのか不明な写真も見かけた。

ルスカスを長く観察した写真は、どこかの時点からドライフラワー状態で、落葉することなく固まったという意味かと、夫の言葉に納得した。

ついでに、昔からドライフラワーを作り飾っていた、母の言葉も思い出した。ドライフラワーになってからも色は進む。何年も持つものではない。きれいでなくなれば捨てる。というような話だった。

ドライフラワー状態になっても楽しむ前提なら、「枯れている」の認定は更に難しいような気がした。

数日前、自室に持ち込み逆さまにぶら下げたケイトウは、今のところ、無事にきれいな色のまま乾燥しつつある。

が、これは枯れているのか、と考えると、YesともNoとも言えない。
そんなときは、そのまま"Yes and no."と表現しておけば良かったのだったか。


※上記で話題にしたページにご興味を持たれましたなら、「枯れないルスカス mizu」でGoogle検索すると「お盆の前に、…」という書き出しのページが出てくると思います。