#36 破滅と創作の間
うーさぶ!
雪がちょっとぶり返した?
でもまあ積もるほどでもないけど、さすがに冷えるね。
夕べ飲んで帰ってさみいから風呂入れて入ったんさ。
で、上がった瞬間にクラっときた。
あー年寄りってこうやって死んだりするんだなあってふと思った(笑)
気ぃつけなはれや!
ってオレか(笑)
■ 雪とけて村一杯の子どもかな
小林一茶だな。
江戸時代の男だ。
すでに芭蕉が、五七五の発句で一時代を築いた後に出てきた。
芭蕉。
彼は、もともと五七五と七七を複数人で続ける連歌の師匠だった。
そして、その連歌の最初の五七五を発句と言ったが、その発句を独立させてどう表現するかの例示をしたのが、「古池や蛙飛び込む水の音」。
また、その発句をどういうふうに発想し歌うかを示したのが「奥の細道」などの旅物語だったわけ。
ともあれ、そういう芭蕉のファンたちが弟子になり、全国各地にいた。
10年ぐらい前に流行った言葉で「家元ビジネス」ってあっただろ。
芭蕉ってまさにそれで、自分をブランド化して、各地に行き、弟子たちに教え、それでお金を得ていたんだ。
で、芭蕉が亡くなった後、一茶が出てくる。
どう出てきたかっていうと、彼は、もともと新潟と長野の県境信濃国柏原の生まれだった。
父が再婚した継母。
そしてその父が亡くなる。
彼は柏原の家に居づらくなり、江戸の方に奉公に出されるんだ。
子どもの頃に親に甘えられなかった不全感を抱えたまま大人になった。
で、自分のアイデンティティを求めるように、五七五の発句に傾倒していった。
五七五に何があったか?
今でもあるじゃんか。
ひとつビジネスあててみたいって感じだと思うよ。
何もない自分だけど、何かに自信をもちたくて、レジェンドの芭蕉を目指して五七五、そして家元ビジネスを当てようと思った。
でも、結局、彼が生きているあいだは鳴かず飛ばずだった。
江戸の町で貧しさの中、命をしぼるように創った五七五は、期せずしてみな子ども、小さなもの、弱者をモチーフにしたものばかりになった。
■ 雪とけて村一杯の子どもかな
■ 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
■ やせ蛙負けるな一茶これにあり
「やせ蛙」の句なんて、明らかに「古池や」の句を意識してる。
華々しい芭蕉の句のオマージュが、自分を見立てた「やせ蛙」だった。
そんな彼の人生を描いた藤沢周平の小説「一茶」は、彼の現実の生き方を描いた。
確か、子どもを設けたんだけど、みんな死んじゃうんだ。奥さんとはどうだったかな、忘れたけど、独居老人のような感じになった。
そんな母親を知らぬまま大人になった男が、使用人など、母のような女と老いた体を重ねる。
生々しい小説だったけど、だからこそ、子どもや弱者を描けたんだと思ったな。
彼の中では、天涯孤独の覚悟を決めた男の中では、こうしたことは矛盾がなかったんだと思う。
・・若いお前には、この感覚はわからんだろうなあ(苦笑)。
今は、こんな乱倫を重ねるような作家は、作品を認めてもらえないだろう。
こないだ亡くなった「苦役列車」で芥川賞とった西村賢太なんかは、どんな生活してたかわからないけど、彼が出てきたとき、なんか不健康そうな人だなと思ったもんだ。
同時に、そんな人生だからこそ、しぼり出せる作品があるんだろうと思ってた。
で、彼は、タクシーの中で倒れ、亡くなった。
まさに作家として、ある意味、理想的な破滅の仕方だっただろう。
自殺よりずっといい。
■ 雪とけて村一杯の子どもかな
この句はいいよな。
難しいこと何も言ってないし、でも、いつの時代でも雪を見たら言いたくなる。
言い古されて飽きる感じもない。
すげえ奴だったって思う、一茶って。
破滅と創作の間で、こうした名作は生まれていく。
・・
あえて破滅に向かったアーティストで、これからどうなるかなと思うのが飛鳥涼だな(笑)
シャブアンド飛鳥なんて言われちゃってる。
もう創作はできないだろう。
彼もまた、内面でいろいろあったんだろう。
もちろん、金持ってしまって、悪い誘いに乗ってしまったのは、救いようのないバカだ。
でも、破滅と創作の間のぎりぎりを感じる上で、「プライド」って歌はどうかな。
■ 思うようにはいかないもんだな
つぶやきながら階段を上る
夜明けのドアへたどり着いたら
昨日のニュースと手紙があった
折れたからだをベッドに投げ込んで
君の別れを何度も見つめてた
伝えられない言葉ばかりが
悲しみの顔でかけぬけてく
心の鍵を壊されても
失くせないものがある プライド
さみいけど、できれば酔った後の風呂はやめとけよ(笑)
期せずしてあの世行きだ。
まあ、そう注意をしたうえで(笑)、飲もうかね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?