#46 自分のリミッター
土曜日にハーフマラソン走ってきたよ。
自己ベスト更新とはいかなかったけどさ、今年最初の大会で、最後まで集中して走れたんで達成感あったなあ。
集中って?
んーっと、ちょっと技術的な話にもなるんだけどさ。
マラソンである程度早く走ろうとすると、がむしゃらに走っちゃダメなんだ。
強く蹴りだして走ると、筋肉をたくさん使うから、血流が上がり、肺も使う。
全身が動かなくなってくる。
だから、強く蹴りださないようにしながらも、早く体が前に進むような体の動かし方、フォームが大事。
頭ではわかっちゃいる。
そういう練習もしてきた。
でも、じゃ、できるかっていうと、もう一つ壁があるんだ。
■ 気持ちが、運動をやめさせようとする
ということが起きる。
(このスピードがいいな)って思って走っているけど、不思議なことに、(このスピードで21km持つかな)って気持ちが出てくるんだ。
簡単に言うと、「不安」だ。
で、ちょっと乳酸がたまって、足が重くなる。
(このレースはもうだめだから、少しゆっくり走っておこう)
なんて思ってくる。
簡単に言うと、「自己正当化」だ。
やればいいのに、理屈をつけて、休もうとする(笑)
そういう葛藤がある中で、友達やかわいい女性ランナーに抜かれる(笑)
(ああ、やばい!)という「焦り」や、(どうせオレは駄目なんだ)っていう「劣等感」や、誰も同情しないのに同情を欲しがる「甘え」なんだろうな。
こういった気持ちで、(そろそろゆっくり走ろうか)と考え始める。
・・
で、昨日のオレは、どうしたか。
ランニング動画で言ってた「蹴る蹴らないの足の意識はやめる。意識を上半身にもっていく」ことをした。
意識を持っていくために、心の中で、「じょう・はん・しん!じょう・はん・しん!」と唱えて、合わせて腕を振った。
「集中できた」っていうのは、そういう意識を最後までもって走れたってことなんだ。
これは、結構自信になる。
・・
マラソンやってきて、分かったんだけど、いわゆる「自分の限界」を超えるためには、
■ 脳にある、「自分の体を守ろう」とするリミッターをどう外すか
なんだろうと思うんだな。
ほら、「自分を信じて!」って言うよな。
アスリートなんかが言う。
逆に、アスリートじゃない人は、「頑張れ」とは言っても、あえて「自分を信じて」って言わない。
なんで言わないかって言うと、「自分を信じて」の意味を知らないからなんだろう。
アスリートの本当の闘いって、実は、自分の中の「不安」「自己正当化」「焦り」「甘え」をどうすればいいかなんだと思う。
で、これらの感情に打ち勝つためには、それを超える、自分の練習と、やってきた練習を「信じる」こと、そして、競技中も信じ続けることなんだと思う。
今オレ54歳で、これから55歳になろうとしてるけど、偉そうに説教はできても、この年で「自分を信じる」ことを実地で体験できる54歳って、そうはないだろうな。
・・
新渡戸稲造の「武士道」で、田舎侍のこんな俳句が紹介されている。
■ 武士(もののふ)の鶯(うぐいす)きいて立ちにけり
この俳句を作る前に、この田舎侍は、こんな短歌とも言えない駄作を作っていた。
■ 鶯の初音を聞く耳は別にしておく武士かな
でも、言いたいことはわかる。
鶯を愛でているような感情は別にしておかないと、命を堂々と投げだす武士をやっていられない、そのぐらいの覚悟があるんだってことさ。
ただ、この武士がその後考え直して「武士の鶯きいて立ちにけり」とした。
鶯を愛でる感情と、武士である自分は相反するものじゃないって気づいたんだろう。
俺たち武士は、春の鶯の声を聴きながら、その美しさの中でいつでも命を投げ出せるんだって、気持ちが整ったんだと思う。
なぜ、武士たちは、戦えたのか。
なぜ日本人は日本を守るために戦えたのか。
命のリミッターを、昔の日本人は外せたんだろうな。
一流アスリートは、自分のリミッターを外すことができる人たちなんだろう。
・・
オレも、どこか、自分のリミッターを外せたと思う。
それが達成感なんだ。
ミスチルの「足音」を聴こうか。
■ 新しい靴を履いた日は
それだけで世界が違って見えた。
昨日までと違った自分の足音がどこか嬉しくて
・・
どんな人にだって心折れそうな日はある
もうだめだって思えてきても大丈夫
きっと強くなれる
夢見てた未来はきっと離れちゃいない
また一歩次の一歩足音を踏み鳴らせ
・・
この足音を聴いている誰かがきっといる
まあ、オレの一日遅れの打ち上げに、お前も付き合えよ(笑)
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