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#25 若者

こないだ寄った立ち飲みバーで、若い子がお酒の話してた。
すごいよな、今の若い人は。
自分からお酒を知ろうとしてるんだよ。
ちょっと前までは、大人に強要されるのを嫌がってたり、メニューにあるだけのお酒を頼むだけだったのにな。

「おすすめのお酒は何ですか?」
わかる?
そうやって、オジサンにおごってほしいんだよ。
安くない酒だけど、おごらせてもらったよ(笑)
今の子のやり方だけど、賢いなって思う。

実はオレも、自分から言わなかったけど、若いころは、知らないオジサン、おじいさんと飲んでて、よくおごってもらってたんだ。
そんなつきあい方があって。
この子たちは、形は違うけど、どこで覚えたんだか、そういうアピールしてくるんだな(笑)
おごらせてもらって、自分も、あの頃のセンパイ達の仲間入りができたような(笑)


飲んで話しながら、若者から戦争の話を振られたときは、意外だったよ。
そういう話って、誰もしないじゃない。
言えばいろんな話になって、場が乱れるっていうようなソンタクみんなするから。
でも、若者らしいって、嬉しく思ったな。


正岡子規ってわかる?

■ 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺

■ いくたびも雪の深さをたずねけり

明治の若者で、野球が好きで、baseballを「野球」って言葉にしたのがコイツさ。

明治という新しい時代を迎えた社会で、ヤツは伝統的な権威にかみついた。
それが「松尾芭蕉」という歌聖、オーソリティだ。
例えば「古池や蛙飛び込む水の音」という作品を批判する。
「ただ、蛙が飛び込んだだけ」「その当時は、目新しかったんだろう」とやったんだ。

目新しいというのどういうことかっていうと、前に言ったような気がするが、「蛙が飛び込んだ」というのは、それまで「蛙」は鳴くのが当たり前だったのが、飛びこんだとやったのが新しいとか、その飛びこんだ音を表現しているようで、「古池や」とやることで、逆に静寂感を感じさせる表現になったってこと。
つまり、「古池や」と「蛙飛び込む水の音」を組み合わせるという技法を江戸時代に提起して、新しい表現領域を作ったというのが、目新しさだった。

正岡子規は、その当時は革新的であったにせよ、明治の時代には、「人口に膾炙」つまり、もう普通の表現なんだと批判したんだ。
やっぱ、カエルが飛びこんだだけっしょ?的な(笑)

で、子規が作った五七五は何かっていうと、

■ 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺

これの良さってわかる?
「柿食った」だけっしょ?ってならない?(笑)

いろんな分析があるけど、例えば、この俳句には「柿」に色覚や嗅覚、「食へば」に味覚、「鐘が鳴るなり」に聴覚といった様々な感覚を入れ込んでいるという指摘がある。
また、柿を食べたという行動に付けた「法隆寺」。
法隆寺は、奈良にある、ザ奈良時代の題材だ。
「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」

つまり、「奈良の都」って、過去にあった美しき日本の象徴なんだ。
子規がいう「法隆寺」も奈良を代表する場所。

柿を食べた、その日常の中で、鐘が聴こえ心はいにしえの奈良の都にフラッシュバックしていく・・・そういう俳句なんだ。
簡単そうで、けっこう重層的だろ?

子規は、そういう表現を求めたんだ。
だから、芭蕉のこの句は評価する。

■ 夏草や兵どもが夢の跡

これも前に言ったけど、奥州藤原氏のもとで命を落とした義経伝説を思い起こさせるものだ。

子規の俳句や短歌の作り方は、写実が基本だが、写実をしつつ、ぐーんと深いところまで想像させるしかけがあるように作るんだ。

■ いくたびも雪の深さをたずねけり

これなんか、雪がどれだけ振ったのか聞いているけど、なんでそんなことを聞くのか?って思わせるところが「しかけ」なの。
その、普通じゃない状況を想像させて、子規がそうだったように、病床に臥せっていることまで考えさせようとするんだ。


ここまで見ると、子規ってすごいなって思うじゃん。
批判すると、ちょっとヒーローっぽくなる。


でもさ、芭蕉は、「夏草や兵どこが夢の跡」のような句を、奥の細道の旅のあとにどう思ったか、だよ。

■ 重たいなー(笑)

芭蕉は、基本的に、俳諧という「おかしみ」、ちょっとクスッて笑えるようなものを作ってたわけ。
それを、ちょっと試しに「義経伝説」のある東北に行ったから、「夏草や~」的な、歴史的な重層的なものを作ったの。

そりゃそれで成功したわけだけど、本人は、やりすぎちゃったなって思ったらしい。
晩年は、気楽な「軽み」に向かうんだ。

■ 鶯や餅に糞する縁の先

美しさの代表選手の「うぐいす」に、ウンコさせちゃうんだ(笑)
そんな掟破りの組み合わせで笑わせてナンボなのが、芭蕉自身の本来なわけ。


よって、子規がいいと言った「夏草や」の句は、芭蕉は重たくって良くないって自己批判してたんだよ。

これ、オレわかるなー。
若い頃って、あれこれ工夫して、そこに何か深いもの入れたがるじゃん。
芭蕉もまたそこに思いが至ったんだと思うんだ。
オレ50代。
芭蕉も同年代なんだ。


かくして、子規って何歳?
34歳ぐらいで亡くなってるの。

若いからダメっていってるんじゃないんだ。
若者から見たら、芭蕉のアラが見えたんだよ。
そこを突いたから、五七五という表現に何を盛り込むべきかという問題意識が生まれ、「俳句」という新しい文学ジャンルとして確立できたんだ。

芭蕉の言った軽みの句は、たぶん、現代では俳句としては低劣なんだよ。
で、どこにいくかというと、コメディーに行く。
でも、チャップリンのように時代批評にはいかず、「軽み」さながらに、制約のある中での単純な笑いの追究に行く。

萩本欽一さんや、亡くなった志村けんさんのコメディーに行くんじゃないかな。
あれ、芭蕉の「軽み」そのものかなあって思うんだけどさ。


30代の子規が、50代の芭蕉にかみつく姿ってさ。
面白いって思うんだよ。

芭蕉に肩入れして言うならば、オレはこの程度だったから、お前がそこまで言うならやってみろやって感じかな。

無理やりこじつけるけど、お酒をおごって、その子がオレに歴史を問う。
オレは今の理解と、今自分がしていることを示すだけだな。
で、オレに問いかける若者の問いを、自分自身に向けさせるだけなんだ。
オレがそうしてきたように、お前も自分が

■ 自分に問いかけることが一番大事なんだってさ。


うーん、今夜はカッコつけすぎか?(笑)

今晩かける曲は何だ?
子規が芭蕉という大きな先輩に挑もうとしているのは、お釈迦様の手の中で挑戦している孫悟空のようだな。
モンキーマジックってところか?

What a cocky saucy monkey this one is
何という生意気なサルなんだ
All the Gods were angered And they punished him    
全ての神々が怒り出す
Until he was saved by a kindly priest      
やがて サルは、救われて 
And that was the start Of their pilgrimage west    
僧侶といっしょに 旅にでる

Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic
Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic, Monkey magic


芭蕉は、死後、歌聖として祭り上げられてく。
自分を疑いようのない存在にされていく、それはあの世でどう思ってたんだろうな。

そんなことより、自分を批評しようとする、しかも実作して挑もうとする若者の出現を待っていいたのではと思うけどな。
芭蕉は、正岡子規という若者を、きっと嬉しく思っていただろう。

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