見出し画像

単純さと荒っぽさと優しさと

「男同士には暗黙の了解がいくつかある」。ここアメリカで高校に通う息子が先日そう教えてくれた。

「まず友達編。悪口は面と向かって本人に言う。本人のいないところでは決して言わない」。つまり「お前バカだな」と本人に言い、本人のいないところで「あいつバカだよな」とは言わないそうだ。

へー。なかなかいいんじゃない。他には?と聞いてみた。

「トイレ編。連れ立たず1人で行く。小便器で用を足している最中、視線はまっすぐ前のままキープ。学校のトイレで友達とばったり会っても気づかないフリ」。

ハローとか言わないの?と聞くと「ありえない」。女子と違うね、女子にとってトイレは社交場だよというと「理解出来ない...」と呟いている。他には?

「恋愛編。グループで喋っている時、そこにいる友達Aが恋心を寄せている女の子もいたとする。その場合、A以外の男子は皆を笑わせるような冗談は控える」。一番ユーモアのセンスがある男子という栄えある地位をA君に譲るためだそう。

なるほど。単純そうに見えて、男子たちも気遣いをしているんだね。

画像1

男子の単純さ、荒っぽさ、そして優しさが散らばるこの本は佐野洋子さんの「私の息子はサルだった」。息子さんの幼い頃から反抗期までのエピソードが書かれている原稿は、佐野さんが亡くなった後に見つかったものだそう。

本の中の息子さんは授業中におバカな発言をして参観に来ていた母を困惑させたり、意中の女子が家に来てくれたというのにサルのように雄叫びを上げ走り回ってばかりだったり、仮病を使う母に甲斐甲斐しく看病したり。そうだよね、子供ってそうだよねと共感し愛おしくなる。

ただ、息子さんご本人である広瀬弦さん曰く、この本には「大袈裟と嘘が見え隠れしている」そうだ。広瀬さんご自身が後書きで書かれている。これは佐野洋子さんが一方的に書いた息子さんの記録。でも広瀬さんは、きっとこれらは佐野さんの中では全て真実なのだと思うとも書かれていた。

子供から見た「真実」があるように、母には母なりの「真実」があるのだ。きっとどこの親子も、互いの心を喜ばせ、困惑させ、時には傷つけながら生きている。親子なのに分かり合えないと感じる時、私たちはお互いに違う「真実」を見ているのかもしれない。

佐野さんは最後にこう書いている。「子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。悲しいこともうれしいことも人をうらむことも、意地の悪いことも充分やってほしい。そして大人になった時、愛する者に、君は何を見ているのだと他者の心に寄り添ってやって欲しいと思う」。この言葉は間違いなく佐野さんの「真実」の気持ちだと思う。

私の子供もこの先いろいろな経験を積みながら、「男同士の暗黙の了解」の域をもっともっと広げて他者の心に寄り添える人間に育ってくれたらいいなと思い、本を閉じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?