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免疫寛容【めんえきかんよう】

免疫ってのを簡単に言えば、
体外から入ってきた異物をやっつけてくれて、
やっつけた上にその異物の顔をちゃんと覚えといて、
もし、またやってきてもチャチャっとやっつける。
って仕組みなわけですが、

この異物ってのが、
なかなか厄介な言葉だったりしまして。

まず、
厄介じゃない例だと、
「おーい!異物きたぞー!」
って体内の見張り役が鐘でも鳴らしながら叫んだら、
「っしゃー!どこでぃ!」ってワイワイと槍を持った兵が駆けつけるて、
異物をやっつける。
これ、いい感じじゃないですか。
免疫なる守りが徹底してる。

厄介な例で、
異物の定義が曖昧なもんだから、
見張り役が見誤っちゃったり早とちりして、
ワタシの仲間のマサオが入ってきたのに、
マサオがちょっとこの猛暑で日焼けしてたもんだから、
「おーい!異物がきたぞー!」
って鐘までは鳴らさないまでも叫んじゃって、
兵は見張り役の合図で動け!
って働き方しか教わってないもんだから無我夢中で
「っしゃー!どこでぃ!」って兵がやってきてしまって、

マサオがやられてしまう。
マサオ。。
仲間なのに。。


この悲劇が体内で起きるのが、
リウマチに代表される
自己免疫疾患【じこめんえきしっかん】というやつなんですよね。

わかりやすい方にも触れとくと、
免疫不全【免疫不全】だったりすると、
見張り役がいなくなっちゃったり、
兵がいなくなっちゃったり、
どっちもいないなんていうと生命の危機ということになります。


ちょっと戻ってマサオの悲劇が起きないために備わってるのが、
免疫寛容という仕組みで、
ちょっと寛容なんです。
異物という曖昧な言葉を寛容という哲学で補ってる。

どういうことかというと、

口から入れる食べ物なんかは、
なんなら、
異物
なんですよね。

どんなにキレイに洗おうが消毒しようが、
滅菌したものを口に入れてるわけじゃありませんから、
細菌やウイルスなんてのもちゃんと口に入ります。
でも、ちゃんと免疫がやっつけてくれます。
だからここはよっぽどじゃなければ大丈夫。

ただ、この寛容という哲学の中で大事なのは、
野菜とかって植物とか、
魚とかって魚類、
豚や牛とかって哺乳類とか、
よくよく考えてみれば、
異物
なわけですよね。

お母さんの体内で育つ
胎児だって、
よくよく考えてみれば、
異物
なわけです。


ここに、
免疫は異物を攻撃して守ってくれてる。
ってだけを当てはめると、
口から入れる栄養も、
体内で脈々と育む胎児でさえも、
異物になっちゃう。

(そりゃまずいよ)
って仕組みが、
免疫寛容なんですよね。
(寛容であれよ)
って哲学のような仕組みが働いてくれてるおかげで、
異物っていう曖昧なのを補ってくれてる。

って感じがしたんですよね。
今日の病理学の授業でした。
(寛容って、)
(病理学で?)
(なんか悪くないな。)
ってちょっと背中痒くなった感じしたんですよね。

この寛容さに欠けてしまうと、
いちいち攻撃しちゃう。
大事な仲間のマサオをやっつけちゃう。
マサオはワタシのために頑張ってくれてたのに、
ワタシの部下がマサオをやっつける。

免疫寛容の仕組みが機能しないと
結局は、
ワタシがワタシを傷つける。
ということが起きる。

ということのようです。


アレルギーという
抗原に対して過剰な反応をしてしまう
免疫反応に対して、

抗原に対して反応しなかったり、
チラッと寛容だったりする免疫反応の言葉があることを教わりました。
なかなか良いんです。

アネルギー。


や、冗談じゃありません(^^)

アネルギーなんだそうです。

いい言葉であり、いい仕組みであり、
いい哲学でもあんじゃないかな。
なんて思ったり、
アネルギーって言葉が流行語大賞になったりすると、
ちょっと世情にも良くないかな?
なんてことも考えながら授業受けてて、
病理学を理解しているのか不安にもなりますが、

ここは、
アネルギー的に
寛容に

都合よく
使ってまいります(^^)


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