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ワタシの大切なボク-第7話 高校野球と

 医師の忠告は聞かずに野球を中学でも続けた。
高校ではもうやるつもりはなかった。
アトピーが理由ではなく、高校で想像される厳しい練習についていく自信はなかったし、禁止はされてだけど周りの話にノッてバイトでもしたいなと思っていた。

そうは思ってはいたくせに別の中学校で野球をやってた奴から

「一緒にやろうよ。」
と声をかけられて、だだの同級生の誘いなのにスカウトされた気分になってあっさりと野球部に入部した。
1年生からというか入部してすぐにレギュラーになり、3年生の時には主将もやった。

 県立の弱小高校ではあったが、ボクと同学年のエースと4番は強豪校からも本当の誘いがあったような奴らだったのもあったし、練習はキツかったし、弱小だったのは幸いだったりもして1年生、2年生からレギュラーとして試合に出てるのが多いから試合経験が多い。
明確なランキングみたいなものはないけど、ボクらが最高学年になったときの県内でのランクは間違いなく上がっていたと言えるチームになっていた。

エースはショウジロウ。
直球のスピードはそんなに速くない。
どちらかといえば遅い。
カーブが良かった。
コントロールも良かった。
カーブが良かったからシュートも効いた。
左ピッチャーのショウジロウにはとんでもない武器があった。
ファーストへの牽制球は高校生離れした一流のものだった。

彼はマスクをかぶったボクのサインを見てうなづく。

ショウジロウの左手に持ったボールに右手のクローブがゆっくりと重なって、そのまま彼の胸元に大事に収めるようにして静止する。

 1塁ベースからリードを取るランナーを正面からジッと見つめたまま、ひと呼吸、もうひと呼吸、またもうひと呼吸、ラジオなら放送事故くらいの間を置いて、ホームベースに向かって近い方の右足がスッと上がる。
 バレエダンサーのように右足はゆっくりとしなやかに上がっていき、その右足はまるで白鳥の首が水面からゆっくりと空を見上げるかのようにして彼の胸に近づいていく。その右足に促されるように左足の踵も上がっていき、土踏まずがプレートから垂直に伸びきったとき、足の裏分の数十センチほどだけど彼の身体はフワッと宙に浮いた。
まるでバレエダンサーがトーシューズで浮くかのように。

 リードを取るランナーは放送事故にイライラさせられたところに、ゆっくりと上がっていくピッチャーの右足のような白鳥のようなショウジロウのスパイクシューズをイライラしながら目を合わせている。
白鳥を凝視して動かない。
動けない。

 もう、始まっている。

 白のトーシューズなんかであるはずもなければ白鳥のくちばしのように黄色でもない。
高校野球では定番の黒のスパイクシューズだ。
何かのスイッチが入ると左足の浮き上がった踵がゆっくりと降りてくる。
白鳥の頭部のようにも見えた右足の先っちょは真っ黒のスパイクシューズそのものに姿を戻す。白鳥がいた湖の霧は晴れ、いよいよピッチャーがバッターに対して投球するための初動がよく見える。


 場面は早朝の森の中に変わり、直立した大木を木こりが斧で安全な方向に向けて切り込みを打ちつけ、大木がいよいよバッターに向かってギリっギリっと倒れるように彼の重心がホームベースに向かって傾く。
その数センチの動作の開始によって、森の小さな木漏れ陽が大きな直射日光のスポットライトのようにしてバッターを照らす。
それを待ってたかのようにショウジロウの両目の視線はいよいよとばかりにバッターをバサッと睨みつける。
ランナーからしてみれば白鳥とピッチャーに睨まれ続けていたのがやっとバッターに行った。
白鳥だったスパイクシューズも、ピッチャーの目線も、大木が倒れるのも、もうバッターしかないと確信して、やっと解放される。
ランナーだけじゃない。
グランドに存在する視線の全てがスポットライトが照らすバッターに向けられる。

 この瞬間を作り出した彼が演出する白鳥とピッチャーが入れ替わる舞台は、彼の思うままにスポーツという現実のグランドへと一瞬にして一変する。

 傾き始めた大木はバッターに向かって勢いよく倒れるはずだったのに、彼の右足のスパイクシューズは審判に文句を言わせないギリギリの角度のところで着地して、倒れる大木は何かにぶつかったアクシデントのようにして方向を変える。
バッターに向かったはずの彼の視線と彼の腕はキャッチャーでもバッターでもなく踏ん張っている右足のスパイクシューズに導かれて、ホールはあっさりとファーストに送られる。

 ランナーは両手を上げて立ち尽くす。
両手を上げた奴はいなかったけど、嘘だろ? 何だこれ?
 何でこっちに倒れてくんだよ?って言いたげな顔はそれを連想させる。
盗塁をしようとしてたわけじゃないんだからって言い訳をしたそうな情けない顔にも見える。

 彼とボクとの間で彼がうなづいた時から流れるBGMの「白鳥の湖」はファーストミットがポールをキャッチする音を境に運動会定番の「天国と地獄」へと変わり、戯けたルパンのようにチャカチャカ逃げるランナーを、銭形のとっつぁん役のファーストがチャカチャカ追いかける。
タッチをするのは野手だけど、ショウジロウによってランナーは逮捕されアウトがひとつ増えてランナーはいなくなる。
ショウジロウが演出する「ルパン三世」はルパンさえも捕まえる。

 彼は有能なスポーツマンでもあったが、ボーッとしてればファーストさえ騙してしまう演出家であり名優だったと言える。

 何度も何度も完璧なまでにランナーを騙した。

 アウトが増えてチームとして嬉しいという感覚なんかよりも、純粋に痛快だった。

 彼にとってそれは楽しすぎたのかもしれない。

 それとも生まれながらの天才的な演出家兼役者だったのかもしれない。

 彼は高校を卒業した後も人を騙した。
社会というフィールドでいろんなやり方で引っかけた。
いろんな誰かが損をした。
その中に野球部の仲間もいた。
引っかかった方が悪いという見解か世の中にあるのもわからないでもないが、さすがにそれは痛快ではなかった。

 ある舞台の演出に無理がたたったタイミングだったのか、演出する舞台をいっぺんに手掛けすぎたのか、彼はいなくなった。
エースのショウジロウは僕らの前から姿を消した。
消息はわからない。

 誰かの損は彼の得にはなってないことを受け止めて森の中で苦しんでいたりすんのかなとか、いやどっかの湖を渡り歩いて同じことを繰り返してるんじやねーの?とかよく仲間と話をしたりもした。
元気にしてれば、いつか会ってみたいと今でも思う。

 どれもこれも、あれもそれもオレの演出なんだよ。
いなくなったことも。
芝居なんだよ。
ゲームなんだよ。
そう言ってあの笑顔で出てくるんじゃないかとも思ってもみたいが、数ヶ月前に行われた当時ボクらが世話になった野球部の監督が還暦を迎えた祝いの飲み会の席で、もう彼の名前が出ることはなかったし、ボクも出さなかったというよりは、その時に彼を思い出すことはなかった。

【目次】
 第1話 巨人の星と
 第2話 イダパンと
 第3話 口裂け女と
 第4話 弟と
 第5話 兄と
 第6話 7人家族と
 第7話 高校野球と
 第8話 病院と
 第9話 アトピーと
 第10話 先生と

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