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視覚障害学概論【しかくしょうがいがくがいろん】

ワタシが通う大学は聴覚障害者と視覚障害者のための学校で、
いわゆる国立大学なんですよね。
なので、学費ってやつは私立大学に比べちゃったら失礼ってくらいに安いわけでして。

学費は安いのに、
視覚障害者に対するフォローは様々になされているわけで、
一般の大学に比べたら、
生徒1人に対する先生の数は数倍だろうと思うし、
触って覚えるための模型が1人ずつに用意されたりするのは
今年の春に卒業した私立の専門学校なんかじゃ到底考えられないことだし、
拡大読書器って言いますけど、
文字を拡大したり、白い紙に黒い文字を反転して読ませてくれたりするのがいたるところに設置されてたり、
紙の文字を音声で読み上げてくれたりだのの機械だとか、
いろいろと見えない、見えずらい人にどう教育するかという視点から、
人、物、情報を揃えてもらってるところなんですよね。
(いったい、どんだけの税金が使われてんだろ。。)
なんてことを想像したりするんですけど、
細かく調べると、とんでもない金額なのが予想できるだけに、
なんか、どうも、知りたいような知りたくないような感覚で、
まだ、調べてないんですけど、
ま、
そりゃーそりゃーかかってるよな。
と感じ取れる体制と設備があるところで学ばせてもらっています。

ワタシなりに(ありがたいなぁ)と思うのが、
先生から配られる授業の資料なんです。
生徒一人一人の視機能【しきのう】に配慮して、
まずは、点字か、墨字か、選べます。
墨字【すみじ】ってのは、白い紙に黒い字の印刷物のこと。
点字を選択する生徒はだいたい30%くらいですかね。
残りの70%ほどの人は墨字を選ぶわけですが、
文字のフォントサイズも選ばせてくれます。
14フォント、18フォント、24フォントから選ぶ。
これが助かるんです。
ワタシは18フォントを選ぶんですけど、
そのサイズ感に随分慣れてきて、
授業も受けやすくなってきてる実感があります。
今日、ゴールデンウィークにポツリとある登校日に数日ぶりの授業を受けてて、
そんな感覚があることに気づきました。

そんな気づきがあると、
その「気づき」を別の角度から眺めてみます。
なるべく客観的に。

そうすると見えてくるのが、
そうしてもらうことが、
そういう配慮があることが、
文字を大きくしてくれる読みやすくしてくれることが、
どうも、
当たり前になってきてる自分がいるのにも気づくんです。

で、
そいつをもうちょっと突き詰めていくと、
配慮されるのが当たり前になってると、
配慮されないことにイラッとしたりもするんです。
(配慮すんのは当たり前じゃないの?)
みたいな感情。
多くは役所とかの行政機関とのやりとりで湧いてきます。。

(てか、なんでこんな文字小さいの??)
って思うのは視覚障害者としてなんらかの提出を求められる書類たち。
(視覚障害者に渡すことが前提の書類なら、もうちょっと配慮があるのが当たり前じゃない?〉
とかって思うことがあるんです。

「この書類はご覧になれますか?」
「難しいようでしたら、拡大文字のものを用意いたしますが、」
とか、
(ないん??)
とかって思っちゃうときが、
あるっちゃあるんです。
言わないんですけど。

その(言わない)って感覚に中には、
(言えない)ってのもどっかにあって、
この国立大学のこともそうですけど、
視覚障害者だからということでワタシの医療費は市の税金でまかなってもらってたりだとか、
白杖とか家にある拡大読書器なんかも、
1割がワタシの負担で、9割を税金のお世話になってる。

(言わない)と(言えない)と
(言うな)
って感覚もどっかにあるのかもしれません。

で、もう一回、
その感情に対して角度を変えて客観的な自分の目線を意識して、
(それで良いの?)
って問いかけてみます。

学校でしてもらってる配慮。
それは必要なんでしょ?
ありがたいんでしょう?
お前が視覚障害者の誰かをフォローするなら配慮しないの?
するんでしょ?

そしたら、
(言わない)方が良いか?
(言えない)ってことで良いかな?
(言うな)って、、どうだ??

なんてことを考えると、
(わかってない)
だけかもしれないと思えば、
行政機関が視覚障害者だけに限らずで、
いろんな障害なりを抱えてる人たちとのコミュニケーションの中で、
ちょっとした配慮、
(これじゃ小さいかな??)
って感じてくれる気持ち。
(もうちょっと読みやすくならないかな?)
って考えてくれる役所。
そうあって欲しいっちゃ欲しいってことじゃない??
なんてですね、
思ったり。

当たり前を当たり前だと思ってしまう自分。
当たり前って当たり前なんかじゃないんだよなって思う自分。
でも、その当たり前がもうちょっと、ほんの数ミリでも当たり前に近づいた方が、
良いっちゃ良くね?って思う自分。
なんか、
(複雑だなぁ)
なんて思いながら、

までも、
(ありがたいもんだよなぁ)
ってことは間違いがなくて、
恩返しだなんてのはおこがましすぎまくるのは承知の上なんですけどね、
(ありがたい)
ってのに見合った
(ありがとう)
を生んでく学びをしなきゃなと。

感情じゃなくて、イラッとするからでなくて、
経験や学びを通して
(言える)
人になりたいなと。

今日の2限目は「視覚障害学概論」という授業。
面白かったのでした。

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