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疼痛【とうつう】

疼痛ってよく出てくるんですよね。
学校での学びでです。
で、なんとなくワタシも慣れた口調で「疼痛」なんて発するんですけど、
疼痛の疼って【うずく】ってやつですよね。
だから、うずくような痛み。
ということだと思います。

そもそも疼くなんて言葉と漢字をいつ教わって、
疼くって感覚をいつ覚えたんだろう?
って疑問もありますけど、

痛みにもいろいろありますね。

激痛ったら激しいんでしょうし、
刺痛なら刺されたわけじゃなくて刺されたようなやつですよね、
鈍痛は鈍いやつで、
悲痛だと悲しくてココロが痛かったり。

こうやって上手いこと、
痛みの種類は言葉で分類されてるようではありますけど、

何がどれくらいだと疼くってので、
どこまで行けば激しくて、
どんなのが刺すようで、
これってのが鈍いってやつですよ。
ってのは曖昧なもんで

明確には
わからないんですよね。

国語でもって分類はしてみても、
痛みの度合いってやつを
ワタシと誰かで比べることはできない。
誰かは「激痛だ。」と言う。
他の誰かも「激痛だ。」と言っている。
疾病も性別も年齢も全く同じ。
じゃー、その誰かと誰かの痛みの度合いは
同じか?

これ、
明確には
わからないですよね。

同じかもしれないし、その可能性が高そうですけど、
ちょっと違うかもしれない。
なんなら全然違うかもしれない。
ワタシが経験したことのある
激しい、
刺すような、
鈍いとか、
なんてことはないとか、
へっちゃらだとかの
痛みの度合いは、
せいぜい目安にはなっても、

誰かの痛みの度合いとは比べられない。

って想像力が必要なんだろうと思うんです。


幻肢痛【げんしつう】とか、
切断してなくなっちゃってる腕が痛むとか、
視床痛【ししょうつう】では、
痛みが発症する物理的な機序は診られないけど脳が痛いと信号を送ってくるとか、

いつからなのか、
幻肢痛とか視床痛という痛みの存在が明らかになったわけで、
お医者さんであったり周りの人は
(痛いんだな)
って理解がされるようになったのだろうと思いますけど、

それが解明される前だったら、
(アイツまた痛いとかってサボってやがる)
とか、
(なくなってるところが痛いって意味わかんなくねぇか?)
なんて時代があったはずだって想像も出来る。

でも、どんなに時代は進んでも
生活の些細なことの中に同じようなことは
ふつうーに、とっこでも、、
起きてるだろうなってことも、
想像出来るし、

ワタシも絶対にそうだった。
痛みの尺度は常に自分であって、
自分のへっちゃらは、
誰かにとってもへっちゃらだ。
って相手に言葉では多少の気遣いはしてたけど、
どっかで、
(んなもんは、へっちゃらなんだよ)
って思ってる自分はいた。
いました。

で、学んだからって今日からいなくなったとも思わない。


痛みに忖度しすぎるのも
されすぎちゃうのも、
どっちも過ぎれば面倒なんですけど、
痛みは分類はされども、
痛みの尺度は人それぞれ。
ワタシと同じじゃない。
って想像力は働かせて言葉を選びたい。
ってことは思う。


ちなみにこれを書きながら、
疼く【うずく】って感覚を覚えたのはいつだったか?
なんとなくこれかも?
って思い出したのが、

初めて東京タワーに登った時、
階段でじゃないですよ、
エレベーターに乗ってです。
で、頂上の先っちょまでは登ってませんからね、
一般客が登って良いところまでですけど、
なんか、床がガラスというか透明なってるところがあったと思うんです。
絶対の絶対の絶対に割れないんでしょうから、
全然、歩いちゃって問題ないってのは頭ではわかるんですけどね、
無理なんです。
そこにどうしても足を踏み出せない。

そこを恐る恐るに渡る友達はまだしも、
全く無神経にも、
ひょいひょいとか、
なんならピョンピョンとかって渡るというか、
そこで遊ぶ友達を見たとき、
ワタシの肛門が、、
ジンジンと、、
疼いた。。

あれ、

疼いたで良いんですかね?

「そんなん知るかー!」
ってのも今日の学びなんでしょうね。

「それわかるぅー!!」
ってのも今日の学びなんでしょうね(^^)


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