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吹奏楽部に入ってみんなから嫌われた話

皆さん新年あけましておめでとうございます!

2020年もあっという間に終わり2021年に突入ですね。

今年も時間が許す限りどんどん自分のしくじり

話を話したいと思ってますので

どうぞよろしくお願いします。✨

新年一発目は、吹奏楽部のいろんな人に迷惑かけて嫌われた話をご紹介します。

吹奏楽部に入部した私でしたが

そもそも団体行動が苦手なのと

人から指示されて動くのが大嫌いなタイプでした。

その性格が災いし部活内で問題ばかり起こしてしまいます。

私は、自由に一人で演奏がしたかったので

先輩や先生の指示をほぼ無視して

ろくに練習をしませんでした。

全体練習の時も同じパートの先輩達に任せて
自分は、まともに吹いていなかったり

トランペットパートのはじめての音出しの時では、

楽して早く吹くために、マウスピースを唇の正しい位置よりだいぶ下の位置で吹いてしまい

顧問の景子先生から最初から練習し直すように言われて効率の悪い練習ばかりしてました。


黒人のジャズトランペッターだって正しい位置で吹いてないし、好きな位置で吹けばいいじゃん!


なんでそうやって強制されなきゃいけないんだと苛立っていました。
(ジャズと吹奏楽は全く別物です笑笑)


そして私は、恥ずかしい事に全く楽譜が読めませんでした笑

いや、ケイさん!あなた合唱部でしょう?と
ツッコんだみなさんもいるでしょう


そうです!合唱部時代も楽譜を読めなかった私でしたが

あの時は、耳で聞いて自分の声で歌えたので
大丈夫でしたが

楽器の演奏となるとまた違ってきます。

頭で理解できたとしても楽器を練習していないので

思うように吹けません笑

本当に救いのないバカでした。

次第に思い描いていた部活生活とはかけ離れていてやる気を失い

さらに練習をサボるようになります。

楽譜も読めないくせにまともに練習せず

全体練習に参加しても、怒られて

追い出されてのの繰り返しでした。

そんな感じだったのでとにかく周りから嫌われ

仲が良かった友達にすら壁を作られて、

部活終了後、その友達とはいつも一緒に下校していたのに

次第に一緒に帰らなくなりました。

パート内でも

「いい加減覚えて!やる気あるの?」と怒鳴られて

最終的に孤立し、一人ぼっちになりました。

今振り返れば、自分が悪いとわかるし

思い描いた部活ではなく楽しめないなら

きっぱりやめればいいと思いましたが

当時はやめたくてもやめられない事情があって

うちの中学にはなぜか

部活に入っていないとダメ人間という

謎の精神論が漂っており。

教師たちも「3年間部活に入っていなかったら内申点にも響くし

何事も継続できない生徒として高校側からそう思われて不利になるぞ」

と半ば脅しのような言葉を学年集会でしゃべっていました。

大人になった今の私ならこう反論します。

「そもそも入りたい部活がない場合もあるし、

入ったとしても自分に合わず無理して続けても

心と体が壊れてしまうのではないか?

生徒のこと全部見ていないくせに部活に入って

いない、3年間続けられなかっただけでどうし

て何事も継続できない生徒と判断できるのか?」

という感じで食い気味で反応してしまいますね笑

ただ、当時の私は、すごく純粋だったので教師の言葉を信じていました。

それに、もし吹奏楽部員が辞めると

現部員たちから「裏切者」みたいな扱いを受けます

ある先輩が吹奏楽部を辞めた後、しばらく部内でその先輩の悪口は言われるし

すれ違いざまに睨んだり睨み返したりというピリピリした空気になっていました。

そんな様子を見ていたので、なおさら辞めずらかったです。

私は、ただ楽しく趣味程度に楽器を演奏したい。

大会とか別に興味ないし、自由に吹きたい

この吹奏楽部の風潮には合わないし、

今すぐに抜け出したいけどやめられない、

先輩が怖い、

内申点に悪い影響を与えたくない....。

みんなにこの思いを伝えたいけど、どうやって伝えればいい?

伝え方がわからずどんどん嫌われていく

どうしよう....。

いつの間にか部活が終わると

一人で泣いていました。

あの時は本当につらかったです。

自分が悪いのは承知してたけどどういう風に対処していいのか本当に分からなかったです。

そうこうして血迷っている間に3年生が引退し

景子先生がほかの学校に移ることになりました。

最後の全体練習の時に景子先生が大泣きして

「私は、本当はこんなに怒りたくなかったし、

みんながうまくなるように熱が入ってしまって

本当にごめんなさい」と言っていました。


とても怖い先生だと思っていましたが

不器用ながらやさしい心を持った素敵な先生だ

ったんだなあと思って私は見送りました。

思い返すと先生は普段は、クールなのに

市内の中学校と合同合奏会の時、お客さんに向

かって「生徒たちがここまで一生懸命練習して

きました」と必死に熱弁したり

大会帰りにはラーメン屋さんに連れて行っても

らったり

中学の卒業間近にあった3年生を送る会の時には、

突然、景子先生のボイスメッセージが流れ

森山直太朗さんの「桜」をピアノ弾き語りした音源が流れる素敵なサプライズがありました。

なんだかその時、感動した気持ちと先生がいる

時にもっと楽器をうまくなって先生を喜ばせた

かったなあと切なくなり後悔が残りました。

先生が大泣きして思いを吐いたあの時

心にグッとくるものを感じて、私は、一人職員

室に向かい挨拶をしました。

先生が泣くなんて思っていなかったので、かわいいなあと思い私は、笑顔で

「いままでありがとうございました。」と言うと

景子先生は、そっけなく「練習頑張りなよ」と

ぼそっと言って会話は終わってしまいました。

私は、キョトンとし、 

相変わらず不器用な人だなぁとボーっとしていました。

景子先生と3年生が引退した後、本当にいなく

なってしまったなあと感傷に浸かっていた私がいましたが、

これから本当の恐怖が始まります。

次のブログで詳しく話したいと思います。

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