自分自身が怖くなる
8月6日の朝ドラ『虎に翼』
観終わった後、神妙な表情が張り付いてなかなか取れませんでした。
一緒に観ていた夫に、思わず言った言葉が「怖いね」。
夫は「美佐江さん、怖いね~」 と答えました。
私は、「…いや、トラちゃんのことだよ」 と答えました。
勿論、美佐江のような存在は怖い。何を考えているかわからないし、大切な子どもまで巻きこまれたら?と思うと、本当に怖い。
でも、美佐江のような人はきっと世の中に沢山いることでしょう。
私たちは本能的にそれを嗅ぎ取って、普段の生活ではできるだけ関わらないよう、無意識のうちに避けているのではないかと思います。
私が息をのむほど怖いと思ったのは、寅子の中にある矛盾、人としてのあたりまえの弱さ、みたいなところです。
受け止めきれない相手に踏み込んで、相手を失望させたり、傷つけてしまう、ということ。
「自分自身が、相手の負を助長させる存在になってしまう」ということがあると思っていて、私はそれをとても恐れているのだと実感したわけです。
(寅子に自分を投影しているので、自分のことも怖いと思っている)
寅子の怯えたような、行き場のない感情を貯めこんだ表情を見て、そう思いました。(トラちゃんも、自分を怖いと思ったのかな?)
人を支援したい。
(今回は寅子の業務外ではあったものの)職業上の使命を果たしたい。
人と真摯に向き合いたい。
おそらく寅子の中にあるその想いは、とても純粋なものだったのではないかと思うのです。
そして、それらと対立するような形になった、「母親として娘を守らなければと咄嗟に働く本能」。
どちらも、素晴らしいものであると思います。
ですが今回は、決して同時に発露してはならなかった。
対峙する相手の前で、両立・共存できるものではなかった、と思います。
私は、キャリアコンサルタントとして活動をしています。
キャリアコンサルタントの倫理綱領には、下記のような一文があります。
「人生全般に影響を与える」
だからこそ、「自己の能力を超える業務の依頼を引き受けてはならない」
自己の能力を超えてはならない…
正直なところ、どこまでが自己の能力の範囲内なのか?なんてことは、正確には分からないのです。
だからこそ、己の能力を磨くため、知識・技術の習得に励む必要があって、それはどこまでも終わることがない。
フリーランスで仕事をしていると、自己の能力を超えているのかどうかを、会社や上司が教えてくれるなんてことはありませんし、自分で答えを出さなくてはなりません。
この難問にぶつかっては、誰か答えを教えてくれ… と思うこともたびたび。(ただの弱音ですね)
自分自身が怖い。自分の判断が怖い。
この恐怖を、常にどこかに抱えながら、それでも自分を信じて、目の前の人や、仕事と向き合う。
自分自身を怖いと思う気持ちと死ぬまで付き合っていくのかと思うと、うんざりするような、ちょっと面白いな、というような、何とも言えない気分になりました。