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第9節 線をまく男

 
「それにしてもヘシアン・ロボ、現れないね」
「そうですね」
 ブーディカとマシュが、公園の地面に視線を投げかけて言葉をかわす。
 直輝たちは、今晩も新宿の愛住公園にやって来ていた。
「マシュたちは何時くらいまでいられるの?」
「はい。明日、と言ってももう零時を過ぎているので今日ですが、木村さんが午前中に病院に行く予定があるというので、始発を目途に帰らせて頂けたらと思っています」
「病院? マシュのマスター、ではないんだっけか。君、どこか悪いの?」
 ブーディカにかれて、すぐそばのベンチに座っていた直輝は立ち上がりながら答える。
「ああ、いえ。ちょっと胃の調子が悪くて。先日検査をしたので、その結果を聞きに行くんです。って言っても、検査の時に胃は綺麗だって言われたので、特に異常がないのはわかってるんですけど。まあ、だから大丈夫です。」
「そっか。異常が無くてよかったけど、原因がはっきりしないのは辛いね……」
 ブーディカがそう言い終わらない内に、彼女たちとは少し距離を置いて、公園奥の短い階段に座り込んでいた達也がやってきた。その眉間にはシワがよせられている。
「同情を買おうとしても無駄だぞ。お前が病気だろうがなんだろうが、俺たちは手を緩めない」
「ああ、いや、ごめんなさい。そういうつもりじゃなくて。それに、特に異常はなかったので大丈夫です。」
「……チッ」
 達也は舌打ちを残して、再び階段の方へ戻っていった。
「もぉ……、ごめんね。マスター、本当は優しいんだけど、色々あってさ」
「いえ、全然。」
 笑顔でそう答える直輝の隣で、マシュが重たくなった口を開いた。
「そのことなのですが。池西さんは、その……」
 口にした言葉の先が見つからず、言いよどむマシュ。
「おい、ランサー! 余計なことは言うなよ!」
「大丈夫! ――まあ、そういうわけだから。詳しくは言えないんだ」
「そう、ですよね……」
「もう、そんな顔しないで。マシュも優しいんだね」
「そっ、そんなことは……」
「ふふふ。マシュは本当に可愛いなぁ。こんな出会い方じゃなければ、もっと可愛がってあげられたのに……」
「ブーディカさん……」
「ああ、ごめんごめん。暗い話は終わり! それよりも、今は目の前の敵。ヘシアン・ロボのことを話そう。って、それも明るい話ではないか」
「たしかに明るい話ではありませんが、ブーディカさんの言う通りですね。どうやってあのヘシアン・ロボを倒すのか、考えなくては……」
 今日の目的は言わずもがな、ヘシアン・ロボとの再戦であった。
 もちろん、直輝たちが行動する一番の目的はマシュのマスターを探すことだったが、現状その手掛かりはないに等しい。ならば、ここで起こっている異常事態、聖杯戦争に関わることが一番の近道だろうというのが直輝とマシュの共通見解だった。
 それに、新宿で起こっている体調不良者と行方不明者の続出も見過ごせない。状況的にヘシアン・ロボが関わっている可能性は高く、そうでなかったとしても意思の疎通ができずに襲ってくる相手をそのままにしておくことが最善策とは思えなかった。
 しかし、そんなヘシアン・ロボと戦うにあたって、直輝たちはいまだにこれといった策を見つけられずにいた。
「お前たちはただ盾になっていればいい。最悪俺の令呪を使う」
「池西さん。よいのですか? 令呪を温存するために私たちと協力してくださるのでは」
「あくまで最終手段だ。それとも他に、奴を倒す手段があるのか?」
「いえ、それは……」
「もう、マスター。マシュをいじめないの。――とはいえ、全く勝算がないわけじゃな――!」
「サーヴァントの反応です! 上空から! すぐに接触します!」
 マシュが大盾を、ブーディカが槍を出し、すぐさま臨戦態勢に入る。
 ――シャンシャンシャンシャン、と涼しげな鈴の音が深夜の公園に響き渡り、それは今日も空から舞い降りた。
「ワオォーン!!」
 砂煙を上げてグラウンドに着地したロボが吼える。
「……」
 トナカイの角を着けたロボのその背には、サンタ姿のヘシアンが、今日も静かにまたがっている。
「木村さん、行ってきます!」
「マスターをよろしくね」
「はい!」
 マスクを外しシャツを脱いだ直輝と、傘を握りしめる達也に見送られ、マシュたちは目の前の強敵に向かって走って行った。
「グウウゥゥゥゥー……」
 ロボは、向かいくる外敵を威嚇するように、低くうなり声を上げる。
「はっ!」
 最初に仕掛けたのはブーディカだった。鋭い一撃がロボの首を狙う。
「……、グウゥ」
 しかし、ロボはそれを軽々かわしてブーディカに跳びかかる。
「っ……! ブーディカさん!」
「ありがとう、マシュ! はっ!」
 ブーディカを守ったマシュの大盾、その陰から光の様な速さでブーディカが飛び出し、ロボに襲いかかる。
「……! グウゥゥ」
 しかし、ロボはすさまじい反応速度でそれをかわし、すぐさま次の攻撃に転じる。
「くっ!」
 マシュも負けじと攻撃を受けとめブーディカを守るが、強烈な一撃はマシュの体力を確実に削り取る。
「大丈夫!? マシュ!」
「はい! 守りは任せてください!」
「うん、心強い! でも、やっぱり一筋縄ではいかないか……」
 ブーディカはつぶやきながらも、すぐに反撃の刺突を放った。
「……、 グラァゥゥ!」
 それもやはりかわされる。そして次の攻撃がやってくる。
 だがしかし、その攻防にブーディカは一筋の光明を見ていた。
――やっぱりこの狼、少し疲れてる。今日は昨日よりも動きが鈍い――
 ブーディカは昨日、ロボと直接刃を交え、身をもってその動きを、呼吸を、強さを感じていた。ロボは圧倒的に強く、彼女達との戦力差は歴然だった。
 しかし、それでも彼女には勝算があった。それはつい先ほどまで憶測にすぎなかったが、今日のロボの動きを目の当たりにして、ほぼ確信へと変わった。
「マシュ、もうしばらく頑張れる?」
「はい! まだまだいけます! っ!!」
「うん! ……はっ!」
 ブーディカはこのままロボとの攻防を続け、ロボの消耗をはかることにした。

 ――新宿で起きている体調不良者や行方不明者の続出がヘシアン・ロボによるものだと考えるなら、その目的は“魂喰い”である可能性が高いとブーディカは考えていた。
 “魂喰い”とは、サーヴァントが人間の魂を喰うことで直接魔力を得る行為をさす。肉体ごと食べたとしても得られる魔力は微々たるものであり、誇り高い英霊の多くは食人行為を嫌悪するなどいくつかの理由から、実際に行われることは稀であり、聖杯戦争で人間狩りが横行することはまずない。しかし、獣と怨霊の組み合わせであるヘシアン・ロボであれば、抵抗なく人を襲うだろうとブーディカは考えていた。
 そして、昨日からこのサーヴァントのマスターは姿を見せていない。本来、マスターは出来る限りサーヴァントの側に立って戦うものである。なぜなら、サーヴァントとの物理的な距離が近い方が、魔力供給の効率が上がるからだ。
 もしかするとヘシアン・ロボは、何らかの理由でマスターからの魔力供給を十全に受けられていないのではないだろうか。サーヴァントはマスターからの魔力供給が全く無ければ、戦闘はおろか通常の活動さえままならず、普通ならばすぐに消滅してしまう。
 だから、不足している魔力を補うために“魂食い”をしており、それでも魔力が十分ではないために疲弊の色が見えるのではないだろうか。
 ブーディカはそんな風に推測していた――。

「ハァーゥハァゥ!! ……グウウゥゥゥゥー」
 激しい攻防の最中さなか、突然ロボが飛び退いてブーディカたちと距離をとる。
「――!? もう一騎、サーヴァントの反応です! いえ。これは、なんでしょう……。はっきりしませんが、サーヴァントの様な魔力の反応が近づいてきています!」
「うん、あたしも感じてる。なんだろう、この妙にぼんやりした感じ……」
 マシュたちが警戒する中、公園に一人の少年が入ってきた。
 身の丈ほどのボストンバックを背負った西洋人風の少年は、迷う様子も恐れる素振りもなく一直線にヘシアン・ロボへと向かってゆく。
「探したぞポチ。全くお前は待てもできないのか? その辺の犬以下だな。狼王の名が泣くぞ」
 やけに血色の悪い白い肌の少年は、シルバーのアクセサリーを体中に着け、鋭く不気味な眼光をたたえている。
「グルゥウ……、バウ!」
「はっ。まあいいさ。ほれ、餌だ」
 少年はロボとある程度距離を保って立ち止まると、ボストンバッグを地面に下ろし、やや乱暴に中のものをグラウンドへと転がした。
「っ!」
 驚きで見開かれたマシュの目に映っているもの。それは、七歳くらいの幼い男の子が口をガムテープでふさがれ、力なく地面に横たわる姿だった。
「おっと動くなよ、乱入者ども。下手な動きを見せれば、ポチの餌になる前に私の魔術で頭がはじけ飛ぶことになるぞ?」
 少年は左手でマシュたちを制しながら、右手を銃の形にして男の子へ向け、ニヤリと笑みを浮かべた。
「貴方は、何者ですか! なんの目的でそんなことを!」
「見てわかるだろ? この野良犬の世話をしているのさ。まあ、全然喰ってくれなくて困ってるんだが……」
 不敵な笑みを浮かべる少年に、今度はブーディカが問う。
「その狼のマスター、ってことでいいのかな?」
「つまらないことをく参加者だなぁ……。まあいい、答えてやる。
 私はこの、後先考えられない無謀な野良犬を拾ってやろうとしている慈悲深い魔術師、ってところだ。マスターのいないこいつが現界げんかいしていられるように世話をしてやっちゃいるが、契約をして貰えてないからマスターとはいえないだろうなぁ。
 マスターじゃないから、魔力を供給するのにこうやって餌を集めてきてやってるんだが、全く喰ってくれなくて手を焼いてるよ。だから全て私の魔力源に回して、あの手この手でなんとか現界させてやってるんだが、流石にそろそろ限界だろうな……。
 どうだ? これでばら撒いておいた伏線は回収できたか? 安心しろ。私はこのかおでは本当のことしか言わないつもりだ」
 少年はそう言い終えると、空のバッグを担ぎなおして後ずさりを始めた。
「! どこへ行くつもりですか!?」
「おおっと、動くなよ。男の子が爆発しちゃうぞ?」
「っ!」
 戸惑いと憤りにゆがむマシュの表情を眺め、少年は心底愉快そうに笑みを浮かべ、ヘタクソなムーンウォークを披露して見せる。
「クククククククク、いい顔だ。――さあ、ポチ! ご飯だ! 今日こそ喰ってくれよ? いい加減、意地を張るのはよせって。マスターのいないお前をこの世界に結び付けておくのに、俺がどれだけの手間と魔力をいてると思ってるんだ? え?」
「グゥゥゥゥゥー……」
 呻り声をあげたロボの前足が、ゆっくり一歩前に出る。
「っ!」
「だから動くなと言っているんだ、乱入者! ……まあ、一方的に要求するのもよくないか。代わりと言ってはなんだが、面白いものをご覧に入れよう」
 少年はそう言うとボストンバックを放り、まるで手品師かなにかのように両手が空っぽであることを示した。そうして今度は、その手を上げたままゆっくり一回転し、全身を見せる。
「どうだ? ハリ一本いっぽんの仕掛けもないだろう?」
 そう言って不気味な笑顔を振りまくと、少年は両手を背中に回した。
「一、二の、三。ハイ!」
 そう叫ぶのに合わせて背後から戻って来た手には、大量のケーブルが巻きついた物体が乗せられていた。
「まあ、仕掛けも何も、魔術なんだけどな。さあ、静かに。耳を澄まして。チク、タク、チク、タク、聞こえるかい?」
 少年は空いている方の人差し指を口の前に立てて黙り込んだかと思うと、突然その物体をマシュたちの方へ放り投げた。少年とマシュたちの間にはかなりの距離があったが、軽い動作で投げられたそれはしっかりマシュたちの足元まで届けられる。
「伏せろ! 爆発するぞぉ!!」
「っ!?」
 男の声と高まる魔力反応に、マシュは咄嗟に盾を構えた――。