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第7節 甘みも苦しみも残暑のように

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 太いストローをくわえて吸い上げると、まるでジャムのような濃厚で芳醇ほうじゅんなラ・フランスの甘みと、ひんやりしたフラッペの冷たさが口いっぱいに広がった――。
「……」
 直輝たち四人は、深夜の国道二十号沿いを新宿駅方面に向かって歩いていた。
 先刻、ヘシアン・ロボからなんとか逃げ切った一同は、大通りに出てすぐのコンビニエンスストアに駆け込み、ひとまず一息ついていた。その時に直輝がノドを潤そうと買ったのがこの、数量限定の“山形県産ラ・フランスフラッペ”。
 コーヒーマシンでミルクを注いで飲むタイプのフラッペで、新商品のこの味が直輝は以前から気になっており、こんな時でもないと買わないからと手を伸ばしたのである。
 隣を歩いているマシュは、控えめなペースでスイカバー *1 フラッペを飲んでいる。割引きクーポンがあったとはいえ、普段ほとんどお金を使わない直輝にとっては大盤振る舞いだった。
「はぁ……」
 ブーディカを間に挟んで、車道とは反対側の端を歩いていた青年――池西達也いけにしたつやは深いため息をついた。
「マスター。二人とも待ってるよ?」
「俺たちがこいつらに話すことは何もない」
 ブーディカの顔とは反対方向を向いてそう言う達也を、彼女は少し心配そうな表情で見つめる。
 ここまでの道中で、直輝たちはまず自分たちの状況を話していた。
 マシュが襲われていたところを直輝が助けたこと、マシュには記憶がないこと、直輝にはUMDという不思議な能力のようなものがあること、マシュはこの世界にレイシフトしてきたのではないかと考えていること、そしてマシュのマスターを探すことを目下の目的としていること。簡単にではあるが、直輝はどれも正直に話した。
 直輝はフラッペのカップを両手で握り、そっぽを向いている達也に懇願する。
「ごめんなさい。お願いします。簡単にで構わないので、教えられる範囲で構わないので、何が起こっているのか教えて頂けませんか?」
 直輝の言葉に、勢いよく達也は振り向く。
「何も教えられない。以上だ」
「……。」
 言うだけ言って再び後頭部を向けた達也を、直輝は無言で見つめた。
「もう、マスターは……。ごめんね。これでもマスター、悪いやつじゃないんだ。ただ、あたしたちには絶対にこの聖杯戦争に勝たなくちゃいけない理由があるの。だから、こんな風に意地張っちゃってるんだ……」
「俺は別に意地を張っているわけじゃない。それになんだ? 聞いてもないのに自分たちの情報をペラペラしゃべりやがって。あげくの果てにこんな状況でよくそんなものを飲んでられるな。こんな危機感のない奴らに俺たちの情報を喋れるか!」
「……それは」
 何も言い返せないという表情で言葉をこぼすマシュに変わって、直輝が言う。
「ごめんなさい。まず、貴方達に信用して頂きたかったので、下手に隠さずに自分たちのことをお話させて頂きました。貴方達の情報は、絶対とは言えませんが、秘密は出来る限り守らせて頂きます。
 フラッペは……、飲みたくて……。それに、マシュさんは日本にレイシフトする機会はあっても、こんなコンビニのフラッペなんて食べる機会はそうそうないだろうなと思ったので、少しでも味わって欲しいなと思って……。マシュさんの気が少しでも紛れればと思ったのですが……。気に障ってしまったのでしたら、申し訳ありません。」
「木村さん……」
 ――「こんな時なのに」。「こんな時だからこそ」。この春くらいから、何度も争いの種として、道具として飛び交っていた言葉が、こんな所でも、こんな形でも――。
「ははは。お姉さんは好きだけどな。この子たちの、真っ直ぐなところ。ねえ、マスター?」
 目を細めてそう言ったブーディカに後頭部を向けたまま、達也は断言する。
「俺は好きじゃない」
 ブーディカはしょうがないなぁというような顔をして、一呼吸おいてから口を開いた。
「……マスターの恋人ね」
「おい!」
「一週間くらい前だっけ?」
「ランサー!」
「もう、いいじゃない。ここが特異点なんだとして、それを修正するってことは、聖杯戦争もなかったことにしっちゃうってことでしょ? でも、事情を聞いたら少しは手加減してくれるかもしれないじゃない? 少なくとも、戦いづらくはなるんじゃないかな」
 
 ――特異点。
 この場合における特異点とは、至極簡単に言い表すならば“存在しないはずの歴史”のことを指す。
 『Fate/Grand Order』において、主人公の属するカルデアという機関が疑似霊子転移レイシフト、わかりやすい言葉へ言い換えるのであればタイムスリップを行って修正していたのがこの『特異点』である。
 「“存在しないはずの歴史”を修正する」ということは即ち、厳密さを欠いてでも噛み砕いて表現するならば、「“存在しないはずの歴史”をなかったことにする」ということになる。
 
「そういうことじゃないだろ! これ以上喋るというのなら、俺は令呪を使ってでもお前を黙らせるぞランサー!」
 達也が右手の甲を示し、その“愛怨あいえんに燃える車輪の令印”と共に怒りをあらわにする。
「……わかった。ごめんね、マスター。でも、聖杯戦争のことくらい教えてあげてもいいんじゃないかな。あの……、ロボ、だっけ? を倒すには、あたしたちだけじゃ心もとないでしょ? 協力するんだったら、最低限の情報は知っておいて貰った方がいいとお姉さんは思うなぁ……」
「…………ちっ」
 達也は長い沈黙の後で舌打ちをすると、直輝たちの方を睨んだ。
「先日、俺のスマホに通知が届いた。FGOからの通知だ。俺はFGOの通知を切ってた。にもかかわらず通知が来たんだ。もうしばらくログインもしてなかったのにな……。
 俺は聖杯に選ばれたという通知だった。それで、俺は久しぶりにFGOにログインしたんだ。そしたら、マイルームに見たことない項目が増えてた。
 あの時の俺はどうかしてた。俺はその項目を開いて、案内されるままに進んだ。それで、ブーディカを召喚したんだ。詳しいことは俺にもわからない。ただ、俺はFGOを通じて今、聖杯戦争に参加している。
 そして俺たちは、この聖杯戦争に必ず勝利する! たとえマシュであろうとも、邪魔をするなら倒す! 原作がどうなろうと知ったことじゃない! ここが特異点だろうが修正はさせない!
 いいか? 俺は令呪を温存したい。だから、ヘシアン・ロボを倒すまではお前たちと協力してやる。だが、俺とお前たちは敵どうしだ。慣れ合うつもりはない。以上だ」
 まくしたてるようにそう言って勢いよくそっぽを向いた達也に、直輝は笑顔でお礼を言う。
「ありがとうございます。それだけ教えて頂けたら、しかも協力して頂けるなんて、充分です。」
「……」
 達也は直輝に後頭部を向けたまま、眉間にしわを寄せ表情を歪める。その額には脂汗がいていた。
「……大丈夫、マスター?」
「何を言っている」
「ううん、なんでもない。――ねぇ、君たち。ここまで来たらもう、あの狼も追ってこないだろうし……。深夜とは言えあたしの髪は目立つから、そろそろ人気ひとけのない方に行きたいんだけど、いいかな?」
「はい。大丈夫です。いいですよね、マシュさん。」
「はい。木村さんさえよければ、わたしは構いません」
「うん。ありがとう」
 ブーディカは二人に笑顔でお礼を返したが、達也は車道に後頭部を向けたまま言い放った。
「おい。いつまで俺たちと行動するつもりだ。言ったはずだろ。慣れ合うつもりはないと」
「ごめんなさい。ただ、ヘシアン・ロボを倒すのに協力するなら、もう少し話した方がいいかなと思うんですが、どうでしょう?」
「……ちっ。LINEのIDを教えろ」
 そう言いながらスマートフォンを取り出す達也に、直輝は謝る。
「ごめんなさい。私、LINEやってなくて……。」
「は?」
「普通じゃないですよね……。ごめんなさい。このスマートフォンもSIMフリーで、簡単にいうと電話番号がなくて、Wi-Fiがないと通信できないんです。メールが一番いいかなと思うんですが……。」
「ちっ!」
 達也はわざとらしく舌打ちをすると直輝を睨んだ。
「さっさと教えろ」
「ごめんなさい。」
 直輝はそう言うとポケットから予定帖を取り出し、挟んであった紙にメールアドレスを書くと渡した。達也はひったくるようにメモを受け取ると、直輝に頼まれてメールを送る。
 直輝もポケットWi-Fiを取り出し、電源を入れてスマートフォンと繋ぐ。
「……ちょっと待って下さいね。――あっ、来ました! これであってますか?」
 空メールを開いて直輝が見せると、達也は返事もせずに脇道へと入っていった。
「ちょっと、マスター! ごめんね。それじゃあ、またね」
「はい。今日はありがとうございます!」
 直輝に続いてマシュもお礼を言い、ブーディカは笑顔でそれに答えながら、達也を追って駆けていった。
「……行きましょうか。」
「はい」
 再び国道二十号沿いを歩き出す直輝とマシュ。
 ――マスターの恋人ね、一週間くらい前だっけ?――
 マシュの頭の中で、ブーディカの言葉がよみがえる。
 ――絶対にこの聖杯戦争に勝たなくちゃいけない理由――
 マシュの胸がきゅっと絞めつけられる。
 少女のその小さな手には、空っぽのカップが握られていた。
「……木村さん」
 スイカバーの香りが残る冷えた吐息を口にして、マシュは直輝を呼んだ。
 
     *
 
 一番好きな本は、『のりものずかん』だった。
 小さな子供向けの、薄っぺらな図鑑だ。少なくとも、大学生にもなって一番好きな本に挙げるような本ではない。
 それでも、一番好きな本は何かと聞かれると、どうしても思い出深いあの本が一番に浮かんだ。
 小さい頃は毎日のようにあの本を眺めていた。いつしかカバーもなくなってボロボロになったその本は、ついこの間まで、部屋の一番目につきやすいところに飾ってあった。同じく小さい頃に集めた、トミカ *2 やチョロQ *3 や、いくつもの車のグッズといっしょに……。
 車が好きだった。
 ずっと、ずっと車が好きだった。
 言うほど色んな車について詳しいわけではなかったけれど。小学生の頃には、車の雑学なんかより運転する方に興味が向いた。
 小学生の頃の将来の夢は、「車の免許をとって車を運転をすること」だった。我ながら馬鹿馬鹿しいけれど。今思えばちょっと意地になってたり、ネタで言っていたところもなくはなかったようにも思うけれど……。
 でも、それは確かに本心で、本当にそれくらい、車を運転することに憧れていた。
 大学に合格すると、貯めていたお金で免許をとった。
 将来車を運転するためにと、コツコツ貯めていたお金だった。残った額は、とてもじゃないが車を買えるような額ではなかったが、バイトしてかっこいい車を買おうと考えていた。初めての車だからと意気込んでいたから、たぶんあのまま行けば、初めての車を手に入れるのにずっと時間がかかったことだろう。
 でも、両親が遅めの大学入学祝いにと車をプレゼントしてくれたことで、初めての自分の車はあっさり手に入った。
 本音を言えば、少し拍子抜けしたし、自分で選んだ車を自分の力で買いたかったという気持ちもあった。
 でも、経済的に余裕があるわけでもないのに、親戚からもお金を募ってプレゼントしてくれたその車が、その気持ちが何より嬉しかった。
 それからは毎日のように車に乗って出かけるようになった。
 ちょっと近所へ買い物に行くのも車で行ったし、休みの日は遊びに行くといえば車で出かけ、一人でもよくドライブをした。周囲からは半ば呆れられていたが、それでも変わらなかった。
 プレゼントした車に喜んで乗っている姿を両親に見せたいという気持ちもあった。でも、なにより、やっぱり嬉しかったのだ。念願の愛車を手に入れたことが。それを運転できることが、本当に嬉しかった――。
 あの日も。あのよく晴れた日も、車で出かけた。
 あの日、彼女と映画を見るはずだった日。彼女が来なかった日。あの事故があった日。
 病院にも車で向かった。その帰りも車で帰った。それが確か、最後だった。
 彼女の命を奪ったのは、車だった。
 彼女は家から最寄り駅に向かう途中、自動車事故にって、そのまま息を引き取った。
 俺の大好きな車が、俺の大好きな彼女を殺したんだ。
 あの日から、車を運転していない。
 本もフィギュアもゲームも全部、車の中に押し込んで、部屋から車に関するすべてのものが消えた。
 車を見るのが辛かった。道を歩くのも怖かった。少しコンビニに行くのも不安なんだ。怖いんだ。苦しいんだ、車を見るのが。車が、車が……。
 
 あの日から、車が嫌いに……。嫌いに……。
 俺は、車が、嫌い……に……。
 俺は、車が……。


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脚注

*1:スイカバー:株式会社ロッテによるアイスキャンディ。カットしたスイカを模したロングセラー商品で、期間限定の味などほかのバリエーションも出されている。
*2:トミカ:株式会社タカラトミーが1970年より発売しているミニカーのロングセラーブランド。日本で最も有名なミニカーブランドと言っても過言ではないと思われ、公式ホームページによれば現在7歳以下の男児の86.5%が所有しているという。
*3:チョロQ:株式会社タカラトミーが発売している、デフォルメされたデザインのミニカーブランド。