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第6節 天は神秘の出入り口のようで

 
「ワオォーン!!」
 真夏の深夜の公園に突如降り立ったその獣はトナカイ、の角をつけた巨大な狼だった。その背には首のないサンタが座っている。
「……、なっ……」
 絶句する青年、目を見張るブーディカ、そして――。
「サンタぁ? はっ、ははは、へっ。あははははははは! なんだそれ!? なんだそのかっこぉ!? あははははははは! クリスマスイベには早すぎるだろぉ! あははははははは! ネロぉ! あんなふざけたわんこ、一撃だぁ!」
「ウウウ……アアアアアアアアァ!」
 吼えるネロに、真夏のサンタが駆けてくる。
「アアァ!」
 あっという間に目の前に現れた獣に、猛る皇帝は剣を振るった。
「……」
 獣は、トナカイコスのロボはそれを軽々と跳躍でかわし、すぐさまネロの体に跳びかかる。
「アアァ!」
「グラァウ」
 ロボは低く唸り、大きな口でネロの頭にかぶりつくと、その前足をネロの体から地面へと下ろし、その勢いも加えて激しく頭を振った。そんなに激しく動いたというのに、頭についているトナカイの角は、微塵もズレることなくロボの頭を飾っている。
「ウアアアアアァ!」
 雄叫びとも悲鳴ともとれる声を発し暴れるネロを、強いひと振りで投げ倒し、ロボが吼える。
「ワオォーン!!」
「ネロぉ!」
「……ア、ア、ア……ウゥっ……」
 地に転がるネロは、真っ赤なベールに顔を彩られうめき声をもらす。もはやネロに、先ほどまでの勢いはない。
「ネロぉー!」
 男が叫びながらネロに向かって走っていく。先ほどから声に疲れの見えるその男の足取りは心もとない。
「グウウゥゥゥゥー」
 ロボは、近づいてくる男に視線をうつす。
 その目は、獲物を狙う動物の目ではなく、外敵に対する動物の目でもなく、宿敵を見る復讐者の目だった。その目の奥では、激情と葛藤がゆらゆらと揺れていた。
「……なっ、なんだよぉ。ふざけたわんこのクセしやがって! ネロは絵よりも音楽なんだよぉ。クラウディウスでカエサルでアウグストゥスでゲルマニクスなんだよぉ! フランダースはおよびじゃないからなぁ! わんこだからって……。わんこだからってぇ! ネロにふさわしいのは、僕だぁ! 僕がっ!」
「グラァウ!」
 ロボは目にも止まらぬ速さで駆ける。
「うあぁー!」
 男が叫び、危険を前に、手を前にして、目をつぶる。
 痛みはなかった。衝撃はなかった。激しい音が、聞こえなかった。ゆっくりと思考が追いついてきた男は、恐る恐る目をあける。
 そこには――。
「大丈夫ですか?」
「……マシュ」
 大盾を前に構え、男を振り返る少女の姿があった。
「マシュさん!」
 少し離れた所から直輝が叫ぶ。
「はい! やーぁあ!」
 すぐにロボへと向き直り、マシュが一歩踏み出す。その突撃を、ロボは軽くかわして距離を取り、即座に狙いを替えて素早く直輝に襲いかかる。
「木村さん!」
「……、……?」
 ロボは突然、足を止めた。直輝の目の前でピタリと止まり、動かない。その、揺れる胸中とは裏腹に。
 刹那、ロボは踵を返し直輝から距離をとった。
「グゥゥゥゥゥー……」
 直輝は攻撃してこないロボの目をじっと見つめながら、ゆっくり動き出し、マシュと合流する。
「マシュさん。大丈夫ですか。」
「はい。私は問題ありません」
 マシュの返答に直輝は笑顔でよかったですと返し、男を振り返る。
「危ないですから、下がっていて頂けますか。」
「なっ……、なんなんだお前はぁ! どうみてもぐだじゃないだろぉ! ローマ人みたいな髪しやがってぇ! ネロにふさわしいのは僕だぁ! このぉ、僕だぁぁぁ! ――おおおぃ! ネロぉ! 退くぞぉ! 今日はもう、僕たちの愛の巣に帰るぞぉ! ネロぉ!」
「……ゥゥウ。……ウ、ア、ア、アアアー!」
 ネロが立ち上がり吼える。
「グゥゥゥゥゥー」
 ロボがネロに視線をうつす。
「アァー。アァー!」
 ネロは剣を振り回して咆哮を上げるが、先ほどまでと比べて格段にその勢いを失っている。
「ネロぉ! くそぉ!」
 男は怒鳴ると、右手に力を込めて叫んだ。
「ネロぉ! 帰るぞぉ! 僕を連れていくぅだぁー!」
 男の右手に浮かぶ、一画を失い崩壊の進む“崩れゆく薔薇の令印”が光るのと、ロボがネロに跳びかかったのはほぼ同時だった。
「グラァ?」
 ロボの攻撃が[[rb:空 > くう]]を切り、その空間を抜けたネロが高速で直輝たちの背後まで跳んで来る。
「ネロぉ……」
 愛おしそうに声をもらす男をネロは素早く抱え、まるでロケットのような[[rb:凄 > すさ]]まじい跳躍で新宿の夜空に消えていった。
「今のは――」

 ――令呪。それはサーヴァントへの絶対的命令権。
 サーヴァントの召喚に際しマスターが聖杯から与えられるものであり、三画で構成される紋様となってマスターの体に出現する。一画一画が膨大な魔力を秘めた魔術の結晶であり、この圧倒的な魔力を用いた命令は絶対的な効力を発揮する。
 いわば、令呪とは膨大な魔力の塊である。魔術としての指向性はあるものの、命令の強制ではなく単純な魔力として利用することもある程度可能であり、時としてサーヴァントの宝具連発や瞬間的超回復さえ可能とする。

「ネロぉ……」
 東京の夜空で今、自分を抱えて跳ぶ少女のぬくもりを感じながら、愛おしそうにその名を呼ぶ男の右手には、すでに一画となった令呪が浮かんでいた――。
「グゥゥゥゥゥー」
 公園に残されたロボは低いうなり声を上げ、残った外敵を睨んでいた。
「木村さん。私たちでは、やはり……」
「はい。ヘシアン・ロボも、倒せませんね……。」
「ヘシアン……ロボ……」

 ――ヘシアンン・ロボは、『Fate/Grand Order』の作中で何度も主人公たちを窮地に陥らせた。
 ヒトの形をとるヘシアンは補佐に徹し、オオカミであるロボが主導権を握っている。そのロボは強く賢く復讐に燃え、その上で獣らしく生存に貪欲だ。敗北の気配を察すれば一切の躊躇なく逃走する。そしてロボには、それを可能とするだけの嗅覚と身体があった。
 サンタな装いになろうとも、クリスマスの霊基になろうとも、それは変わらない。

「ワオォォォーン!!」
 ロボは一吼えすると、[[rb:膠着 > こうちゃく]]状態を踏破するかの如く走り出した。
「マスター! 来るよ!」
「ああ……」
「女神アンドラスタ……、あたしに力を」
 ブーディカはそうつぶやくと、槍を手に駆け出した。
「グラァウ!」
 対するロボは瞬く間にブーディカとの距離を詰め、跳びかかる。
「はっ!」
 空中に身を置くロボは、攻撃をほとんどかわせない。凄まじい速さのロボが的になる、その一瞬の隙をブーディカの長い槍が突く。
「ガウ!!」
 ロボは自身の心臓に向かう穂先に大きな口で食らいついた。
「くっ! マズっ……」
 その顎の力はすさまじく、ロボの口から槍が抜けない。
 そのまま跳びかかってくるロボを前に、ブーディカは槍をしっかりと握ったまま、諦めて地面へと倒れていく。倒れゆくブーディカの上にロボが降りてくるのに合わせ、食らいつかれた槍の柄が地面に近づいていき、勢いよく突き立った瞬間、手に加わる衝撃でブーディカはそれを察知し――。
「……はっ!」
 ――ぐっと槍を握って地を蹴り、柄に体重を預け軸にして、回るようにロボの下から飛び出した。間一髪、ブーディカは窮地から抜け出すことに成功する。
 対するロボはブーディカに跳びかかるのに槍がつっかえ邪魔になるため、ブーディカの回避とほぼ同時に槍から口を離していた。ブーディカは槍を奪われることなく攻撃も回避すると、飛び退いて間合いをとる。
「マスター! これは厳しいかも!」
 ブーディカが叫ぶ。ロボの俊敏さと力の強さをその身で体感したブーディカは、その戦力差を思い知った。だが、だからこそ、うかつに退けなかった。現状、マスターを守りながらロボから逃げることは困難だとブーディカは悟っていたのだ。
「……ちっ」
 そんなブーディカの様子を見て、青年は舌打ちをする。傘を持つ右手と[[rb:空 > くう]]を握りつぶす左拳がギュッと力強く握られる。右手の甲には、三画の“[[rb:愛怨 > あいえん]]に燃える車輪の令印”が刻まれていた。
「ランサー、やるぞ!」
「わかった!」
 ゆっくりと歩き出しブーディカに近づいていく青年に、ロボの視線が向けられる。何か仕掛けてくることを嗅ぎつけ、注意深く青年を観察するロボがピクリと動いた――。
「はぁぁぁ!」
 ロボとブーディカたちの間に、背中から青白いエネルギーを放出してマシュが滑り込む。その盾には先ほどの様に直輝がしっかりと掴まっていた。
「君たち……!」
「グラァウ」
 ロボは低くうなりマシュの大盾をにらみつける。警戒しなくてはならない青年の姿が、隠れてよく見えなくなったからだ。
「ブーディカさん!」
 素早くマシュの盾の裏から出た直輝は、彼女の背中を守る盾になりながら、ブーディカの目を真っ直ぐに見つめる。
「ごめんなさい。あのサーヴァントから私は貴方達を守りたい。そして貴方達とお話しがたい。一時的にで構いません。私達と協力してくれませんか! お願いします!」
 直輝はそう叫ぶと、両手の甲をブーディカと青年に向けて叫んだ。
「俺はマシュさんと、サーヴァントと契約してません! 何も状況がわからないんです! 場合によっては貴方達の力になれるかもしれない! なれないかもしれないけど。」
 真っ直ぐに二人の目を見比べて叫ぶ直輝と、その後ろでロボの攻撃を必死に受け止めるマシュ。
 二人の言動を見て、最初に口を開いたのはブーディカだった。
「ねえ、マスター。ここは一時休戦、ってことでいいんじゃないかな? あたしたちだけであの狼を倒すのは難しそうだし、これもアンドラスタのお導きかもしれない……」
「……ちっ。仕方がない。一時的にだがお前たちと組もう。だが、忘れるな。この聖杯戦争に勝ち残るのは俺たちだ」
「はい! ありがとうございます!」
「ちっ!」
 舌打ちをして直輝から視線をそらす青年にかわって、ブーディカが言う。
「で、どうするの? あの狼を倒せる策はあるのかな?」
「それは……。」
 言い[[rb:淀 > よど]]む直輝の後ろで、マシュが叫ぶ。
「木村さん。……くっ! すいません! これ以上はっ、……限界です!」
 特異な盾を注意深く攻めていたロボが、徐々に攻撃の勢いを強めていた。
「ごめんなさい。無策です。ただ一対一では勝機がないに等しいと思っただけです。」
「はは。まあ、そうだよね。とりあえず加勢しなきゃいけなさそうだ!」
 そう言ってブーディカがマシュの陰から長い槍を打ち出す。
「ガウ!!」
 ロボが飛び退き、マシュに余裕が出来る。
「ありがとうございます。あの、ブーディカさん」
「今は共闘関係だから、これでさっきまでのことは一旦置いといてもらえると嬉しいかな」
「……はい! もちろんです!」
 二人は戦闘の[[rb:最中 > さなか]]、刹那の笑顔を交わす。
「さて、どうしようか……」
 目の前の強大な敵を見据え、ブーディカがつぶやく。こちらの戦力が増えたとはいえ、やはり決定打に欠けていた。
「――!?」
 その時、遠くの方で救急車のサイレンの音が鳴り響いた。ロボがピタリと動きを止める。
「……公園を出ましょう! 恐らくロボは人目を避けてる! 憶測ですが、ニュースの! [[rb:人気 > ひとけ]]のない場所で人を襲ってたのはロボかもしれない! すぐそこの大通りまで出れば車の往来があります! このまま戦っても勝ち目はないように思います! 今は可能性に賭けて、一先ず撤退しませんか?!」
「……」
 直輝の言葉に青年の表情が険しくなる。
「マスター! だって! あたしもここはいったん退くしかないと思うけど!」
「……あ、ああ。そうだな。でも、どうやって」
 その時、マシュは上空を見上げて目を見開いた。
「あれは……。話の途中ですが、ワイバーンです!」
「――!?」
 一同が空を見上げる。そこには――公園の上空には、一体、二体、三体……、無数のワイバーンが飛来していた。そして、その背からボトッ、ボトボトッと次々に影が着地する。
「あれは……」
 それは、スケルトンに似たエネミー。その頭部が口だけの骨の兵士、[[rb:竜牙兵 > スパルトイ]]だった。
 無数のワイバーンが公園の上空で“爪とぎ”し、何体もの竜牙兵がテーブルナイフのような形状の剣を[[rb:携 > たずさ]]え“絶叫”する。
「グゥゥゥゥゥー……、ガウ!!」
 最初に動き出したのはロボだった。
 自身へと向かってくるスパルトイの大群に突っ込み、瞬く間に蹴散らしていく。
「ワオォーン!!」
 周囲の大群を一瞬で一掃しロボが咆哮を上げた天で――、
「GARUUU……!」
 答えるように吼えるはワイバーンの群れ。地を駆ける獣を、空を舞う竜が襲う。
 その時、無数のワイバーンの乱舞に、その騎士が初めて動いた。
「……」
 禍々しい剣を純白の大袋に持ち替え現界したヘシアンが、その袋を荒々しく振り回す。
「GARUUU……!」
 ワイバーンの群れはまとめて地面に叩き落とされ、その上をロボが駆け回る。先に倒された竜牙兵の様に、まるでゲームのエネミーのように次々と消えていくワイバーンたち。
 ――みなさん! この隙に公園から出ましょう!――。
 そんな中、マシュたちは公園の入り口に向かって駆け出していた。
「ちっ! なんなんだこいつらは……」
「ワイバーンに竜牙兵……。モンスターの召喚を得意とする、キャスタークラスのサーヴァントがいるのでしょうか……」
 マシュは目の前に立ちはだかる無数の敵を見て、さらに昨日のスケルトンを思い出していた。
「わからないけど、やるしかないよね。そんなに強くなさそうだし、これもアンドラスタのお導きかも。あの狼がこっちに来ない内に片付けちゃおう!」
「はい! 右斜め前方が手薄です! 木村さん、指示を!」
「えっ、あっ、はい。このままそこを突破しましょう。」
「了解です!」
 ゴーグルを装着したマシュが先陣を切り、間もなく会敵する。
「Gi……Gi……」
「GAAA……」
「GARUUU……!」
「いきます! やーぁあ!」
 無数のエネミーに突撃し、盾の打撃で竜牙兵を粉砕!
「マシュ! 盾借りるよ! ――はっ!」
 ブーディカは言いながらマシュを跳び越え盾に着地し、さらにそれを足場に上空へ跳び立ってワイバンに飛び乗る。
「こんな時じゃなきゃ、いい眺めなんだけどなぁ……。はっ! はぁっ! でぇい! 今渾身の……!」
「GARUUU……!」
 瞬く間に三体のワイバーンを突き仕留め、最後に自身の足場となっているワイバーンを刺し穿つ!
 地上では直輝が手の平を打ち出す――、
「やっぱり駄目ですね……。」
 ――が竜牙兵はびくともしない。
「木村さん! いきます!」
「! はい!」
 直輝が数歩下がると、その目の前にマシュが突撃し竜牙兵を撃破する。直輝とマシュは青年を守りながら堅実に、ブーディカは単騎身軽にエネミーを倒し活路を開く。
「……っと。切り抜けた」
 公園の外に一番乗りで足を踏み出したブーディカが振り返るのが早いか[[rb:否 > いな]]か。
「ワオォォォーン!!」
 ロボが吼えた。
「――!」
 見れば、ロボもこちらを見ている。
「木村さん! えとっ、ブーディカさんのマスターさん! 急いでください!」
 マシュが公園入口で素早く振り返り盾を構え、その脇にブーディカが並び立つ。直輝と青年がその横を走り抜ける。
「……間に合って」
 マシュの小さな祈りが、深夜の路上にすうっと消えた。

 
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