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ラ・マンチャの男 観劇感想

白鸚さん、ありがとうございました!!
今までお疲れ様でした!!

もう、この言葉に尽きる。

ストーリーが難しくてよくわからないシーンもあったけれど、演じている白鸚さんから伝わるものが凄くて感動した。今までストーリーに泣かされたことは多々あれど、人に圧倒されて感動するのは初めてだった。
なんて言って良いかわからないけれど、演技というか、白鸚さんそのものに圧倒された気がする。
LIVE配信じゃ伝わらない、生で観劇してるからこそ味わえる力強さのようなもの。
もちろん観る前から、難しいストーリーということは理解していたから、それなりに内容が理解できるように予習してきたつもりであったけど、やっぱり原作を読んでから行くべきだったと後悔。
ジェーン・エアの時と同様で、次に原作がある舞台を観に行く時は面倒くさがらずに図書館に行こう。
そんな訳だけど、素晴らしいセルバンテスを演じてくださった白鸚さんを中心に感想を綴っていきたいと思う。


セルバンテス/ドン・キホーテ 松本白鸚
 主人公が老齢の役柄ってそういえばあまり無い気がする。ドン・キホーテの設定年齢は調べたところ50代。
ドン・キホーテが出版されたのは1605年のスペインで、舞台となるラ・マンチャは田舎の模様。
当時の50代って、平均寿命が今よりも低いことが想定出来るから、高齢者として扱うべき役柄だと思う。
それをなんと白鸚さんは26歳の時から演じられていると知って驚き。80歳となられた今でも、50年以上も前から同じ役を演じられているだなんて聞くと、何かしらのギネス記録にでも載るんじゃないかと思っちゃう。

「同じ役を演りつづける、演りつづける役に出会うってことは恐怖でしかなくて、すごい尊敬します。(省略)
私はまだまだそうはなれないし、出来ればそういう役に出会いたくないと…」

「ラ・マンチャの男」制作発表会見 2021年12月16日

上記は前回の公演に先駆けて行われた会見で、娘である松さんが言った言葉だ。
同じ役を演りつづけることになるかなんて初めのうちは多分わからないと思うけれど、人生を共にする役に出会うっていうのはかなりの重圧だろうから、出会いたくないっていうのは分かる気がする。
そんな重圧の中で50年以上演りきった白鸚さんは次のように述べていた。

「作品のテーマの生き方が一緒になっちゃったんですよね。夢の叶わないと分かっている、負けると分かっている戦いでも、男は時に戦わなきゃならないという…」

「ラ・マンチャの男」制作発表会見 2021年12月16日

これは白鸚さんじゃなきゃ言えない。
次に誰かが引き継いだとしても、同じ言葉を言うには50年くらい後のことになる。
会見映像で白鸚さんを見た時には、失礼ながら年相応に声色や表情に老いを感じてしまったし、
その後(2022.11〜)に体調を崩されて休まれていた時期もあったことを知って、2時間以上ある舞台をやりきることが出来るのかと勝手に心配していたけれど、
そんな白鸚さんであったからこそ「ラ・マンチャの男」そのものを感じさせてくれたのだと思う。

劇中ではセルバンテス演じる白鸚さんが物理的にキャストの皆に支えられていた。
(勿論、心理的にも支えられてるのは伝わってくる)
歩く時には基本的にお供のサンチョが傍らに付き、跪く場面では椅子が用意されて、跪いているように見える工夫がされ、立ち回りのシーンはややゆっくりのスローモーション風な演出となっていた。
その他にも、初見ではわからない変化だが、舞台構造にも変化があったようで、過去の演出ではあったとされる八百屋と言われる傾斜が無くなっていたり、また何度も昇り降りする場面があったという大階段も無くなっていたとのことで、白鸚さんの身体状況に合わせて変えたことが推測される。
このような物理的サポートを言葉で言うのは簡単だけど、物理的に支えられることを良しとするのは心理的にはかなり受け入れ難い事だと思うし、その周りで演じるキャストも初めのうちはどうサポートしたらいいのかわからなくて、やりづらかったと思う。
それが想像出来るからこそ、ストーリーが難しくとも心動かされる作品になったのかもしれない。
劇中の言葉を引用して表現するならば、
夢におぼれて現実を見なければ成功しなかった舞台だと思うし、現実のみを追って夢を持たなければ、舞台自体が開催されなかっただろう。
この舞台が無事に開催されたことが、まさに「ラ・マンチャの男」のテーマを体現しているから素晴らしい作品となっているのだと思う。

「夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。だが、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ」

劇中でのセルバンテスの台詞


会見の話に戻るが、白鸚さんは次のようなことも仰っていた。
「見果てぬ夢」は亡くなった者たちへのレクイエムのつもりで歌っていて、
「ラ・マンチャの男」を通して、怖い暗いそんな人生に夢を、悲しみを希望に、苦しみを勇気に変え、あるべき姿のために戦う心というメッセージを伝えるのが仕事であると。
重ね重ねになるが、まさに「ラ・マンチャの男」を生きた白鸚さんだからこそ、観る人に夢や希望、勇気を与えられ、またその生き様に私は感動したのかもしれない。


アルドンザ(ドルシネア) 松たか子
「怖い暗い」と思っていた子供の頃から観続けて、大人になってからは父親である白鸚さんと一緒に「ラ・マンチャの男」を作り上げた松さん。
そんな松さんがアルドンザを演じてくれたからこそ、ストーリーの理解があやしくとも、アルドンザとしての希望が見えた気がする。

以下、考察含んだストーリー概要。
初めのうちは、妄想に取り憑かれたセルバンテスのことも、それに付き添うサンチョのことも理解できなかったアルドンザ。
アルドンザは元々売春婦として働いていたようだったけれど、男どもに軽い扱いを受けていて、だけどお金を稼ぐためには仕方ないよねって今ある現実を諦めて享受していた。
だけど売春代として床に落とされたお金を拾わないシーンは、あるがままの人生に多少は抵抗したい気持ちがあったのを表現していたように思う。
その後セルバンテスが来て、ドルシネアとして大事にされる。そのお陰で今の生活(男どもに蔑ろにされるのを諦めて折り合いをつけて過ごす日々)を疑問視出来るようになり、サンチョと話してドン・キホーテとしての生き方もありなんじゃないかって考え始めてるように思う。
しかし、そのように考え出した頃合いで男どもに集団暴力を受けてしまう。この時、男どもに混じって暴力は振るわねども唾を吐き捨てる女の人がいるのが、
「抜け駆けは許さない」とでも言うかのように足を引っ張る輩に見えて心痛い。
しかし、最後には出来る限り身嗜みを整えた姿となって、セルバンテスのもとに会いに来るシーンは、あるべき姿(ありたいと望む姿)を追い求めように変わったことを示してるように見えて感動的だった。

最後に他のキャストの方々についても、短くではあるが書き残す。
「ラ・マンチャの男」お疲れ様でした!!
ありがとうございました!!

サンチョ 駒田一
 いやはや濃かった。「ご主人様大好き!」が常々溢れてた。予習してた時にサンチョの好物は羊乳のチーズ(ケソ・マンチェゴ)っていうのを見つけたから、食べるシーンを期待してたら無かったのでそれだけが残念。
「ドン・キホーテ」含めて予習したせいだと思うので「ドン・キホーテ」と「ラ・マンチャの男」が全く同じではないことを理解。
神父 石鍋多加史
 歌声の響きが素敵で、家政婦とアントニアに挟まれて歌うシーンが特に良かった。
床屋 祖父江進
 まさか、ラ・マンチャの男の中でペッパーミルが出てくるとは思わなかった。笑
商売道具を奪われても能天気な感じが、舞台を明るくしてくれた気がする。
牢名主 上條恒彦
 最高齢の83歳。白鸚さんみたく年齢を意識してしまうような演技は無かったけれど、上條さんが演じた牢名主は説得力があったように思えた。
息子さんのfacebookで、83歳というお歳で演じてくださった有り難みを噛み締めることが出来た。

名前の無いアンサンブルの坊主の人
シンプルに歌が上手かった。アンサンブルの人の写真を載せてくれるパンフレットもあるけれど、ラ・マンチャの男では、それは無かったから名前分からず。
またいつか、どこかできっとお会いすることがあるでしょう。その時には名前がわかることを期待。


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