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魚の死骸は墓かゴミか問題

もし、飼育している魚が死んだらどうしますか?

私は今、水生植物を愛でています。いずれは独自の生態系をもったビオトープを立ち上げたい。そこには小さな魚やタニシが必要です。だから魚を飼いたいのです。でも生き物はいつか死ぬ。じゃあ、その死体は一体どうしたらよいのでしょうか。

哺乳類や鳥類などの毛をもった生き物ならば迷うことなくペット用の焼き場に連れていき弔います。しかし小魚に対しては「そこまではちょっと…」という気持ちがあります。まだ飼ってもいないので、どういう愛情が私に生まれるのかはわかりませんが、少なくとも今はそういう気持ちにはならないのではないかと思っています。

魚の飼育本を見ると、繁殖の方法には触れていても死骸の扱いに触れている本はほとんどありません。載せてほしいです。そこで、インターネットで調べてみました。すると次のような方法が出てきました。

・公園や河川などに埋める
・プランターに埋める
・トイレに流す
・燃えるゴミに出す 

という選択肢が出てきました。

トイレに流すのは論外です。海外ではそういう事例もあるそうです。海につながっているという考えからきているとのことですが、海に行く前に屎尿にまみれてしまうでしょう。そういう想像力は働かないのでしょうか。

マンション住まいの人にとって、プランターに埋めて墓を作ることは一見現実的のように見えますが本当にそうでしょうか。その墓プランターは一生持ち続けるのでしょうか?本当に?私には自信がありません。

では、公園・河川に埋めるのが最適でしょうか。自分の所有する敷地以外に埋めることは不法投棄になるそうです。また、死んだら自然に返すという意味で土に埋めることも、よくよく考えたら不自然だと思います。そもそも私たち人間社会の生活は、自然から切り離された”不自然”な状態です。無理やり人間たちの世界に連れてきた(或いは繁殖させられた)魚を、死んだから自然にかえすというのなら、その自然はどこのことを言っているのでしょうか。土というのは雑すぎませんか。その魚が生きていた生態系の中に帰すならわからなくもありません。どこか適当な河原に埋めるのであれば、その土地の生態系を侵すことにもつながりはしないでしょうか。どうせ不自然な状態ならば最後まで不自然で良いのではないかとも思い始めてしまいました。

以上の考えから、死んだ魚は燃えるゴミとして出すことが、法的にも環境的にも適切なように思いました。魚であればです。

これが哺乳類ならどうかというと、きちんと弔いたいという気持ちがわくでしょう。なぜ魚には「まあいいか」と思えるのでしょうか。

私は、ビオトープを作るために魚のことを考えています。では、ビオトープの植物が枯れたらどう思い、どう始末するのでしょうか。きっと私は「枯らしてごめん、今までありがとう」と思って燃えるゴミに出すことでしょう。

私は、魚を植物に近い感覚として捉えているのかもしれません。

死について考える、いやおうなく倫理観をつきつけられます。世界の弔い方を見ると、その土地ごとの文化環境によって考え方と様式が変わります。人の弔い方にも、火葬、土葬、風葬、鳥葬、なかには遺体を食するという弔い方もあるそうで(昔、インターネットで見た)、本当に千差万別です。異なる文化様式について行動そのものだけを取り上げ、自分の慣れ親しんだ文化の物差しで善悪を測っては、きっと物事の真理を理解できないでしょう。

私はまだ魚を飼ってもいません。でも、もし飼って死んだらどうするのかを、今回よくよく考えました。もし、飼った魚が私にとって深く心に寄り添ってくれた存在であれば、焼き場につれていき弔いますが、植物などのような存在として位置づけられたのであれば、感謝と弔いの意味をこめて燃えるゴミの日に出そうと思います。

これが私の魚の葬り方についての考えた結果です。たくさん考えたので、飼ってもいないのに飼って死なせたような気持になってしまい、飼うのが面倒に思っている自分がいます。


おわり







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