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なぜ世界は存在しないのか

え、世界って存在しないの?まじで?それって宇宙物理学のホログラム理論みたいなこと?それともこの世は幻的なそういう仏教思想?

とか様々な興味と疑問がわいたので、読んでみました。

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なぜ世界は存在しないのか マルクス・ガブリエル/講談社選書メチエ

哲学書の中ではおそらく読みやすい部類なんでしょうけども…読みなれないせいか、いや~骨がおれた。すぐに眠くなるので全部読むのに2か月以上かかりました。遅ぉ。

で、読んでわかりましたよ。

確かに世界は存在しない!

でも、世界以外の全ては存在するみたい。

は?どゆこと?って感じでしょ。ところが読み終わる頃にはめっちゃ納得。あらゆる全てを包括する「世界」なんてものはないぜ!ってことなんだけど、は?あるじゃん!全てを包括するのは宇宙でしょ?って思うでしょ?でも違うんだってさ。宇宙というのは、自然科学的の「対象領域」にすぎなくて、私が今こうやってパチパチパソコン打ってるリビング領域とは異なるもので、わけて考えなきゃいけないんだって。対象領域っていうのは、特定の種類の対象を包括する領域のこと。リビングという対象領域には絨毯やテレビソファがあって、私はくつろぐことが出来る。というように、関係性が定まっているものを言うんだって。だからリビングと宇宙は交わらないのだ!

ま~そうやってさ、宇宙とか、リビングとか、学校とか動物園とか肉とか魚とか・・・、とにかく数えきれない無数の、無限にある対象領域があって。世界っていうのは、そういう無限にある対象領域を包括する領域のことをいうんだろうけど、そういうのは無えよ!っていうのをキチンとロジカルに説明されていました。

それにしても無限にあってはてしないし、そういう果てしないことを考え出すと、足元がグラグラしちゃって自分ってものがなくなっちゃいそうだけれども、そういう、私たちにはとらえきれないような無数の意味の存在(無限性)に対する感性の表現として「宗教」ってのがあるらしいんだって。

へえ~って感じ。

んでもって、芸術っていうのは多義的に意味を捉えられる見え方を提示してくれるものなんですって。だから様々な解釈が生まれるわけで、意味そのものを考えること自体が芸術の意味なんだってさ。それはわかるね。芸術は皆でワイワイ考えたり話し合ったりすると味わいが深まるもんねえ。


無数の小さな対象領域が存在してて、それらがあんまりにも無数・無限にあるから、私たちには到底全体というものを知覚できないし、部分的に切り取った部分でしかものを見ることが出来ないし、とにかく果てしないんだけど、でもそこから無数にある意味をたどっていくってことが生きるってことなんだって。なんか、マルクス先生めちゃくちゃポジティブ。前向きよね。読んでて私は、なんだか存在そのものを全肯定されてる感じがして、気分は悪くはなかったよ。色んな生き方、オッケーって感じですわ。


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