自分の人生についてつらつら書いてみた②
①の続き。
高校でもまたバスケ部に入ったけれど、女子がそもそも五人もいないという、元産業高校の名残を見事に残した高校であった。
圧倒的に女子が少ない、しかしモテるわけでもないのがこの世の現実である。
偏差値は平均より低めの学校だったけれど、オタクとヤンキー、真面目な層が入り混じって、全てが共存していて、いじめのない平和な高校だった。
私服校で自分で時間割を考えるという、なんとも大学みたいなところで、バイオだったりはたまたネイルアートだったり広く学べる高校だったから、いろいろなことが経験できて楽しかったなぁ・・・
高校からアルバイトもできるようになったもんだから、自分で稼ぐことができるようになってからはメイクやファッションに興味を持って一気に高校で女子力向上した私。※いわゆる高校デビューってやつです。ゆるしてください。
家では、高校の時からオカンとオトンの喧嘩で朝に目を覚ますことが増え、オトンが少し粗暴であったものだから、小学の時から引きずっていたコミュ障に加えて男性への苦手意識が強くなっていった。
※あと、加えてなぜか変態とか変質者との遭遇率が異常に昔から高かったのが男性を苦手としていた理由の一つでもある。
なぜか股間を露出した人がお店で私の横に立ってたり下着を盗まれてティッシュと一緒に返ってきたり、etc
だから、高校では金髪にしてみたり派手な見た目をしてたけど男性とは目を見て話せない、で一部から囁かれていた私なのであった。※ちなみに当時はギャルと呼ばれていた
↑昔はロングだった。
それでも、まぁ男性に対しての苦手意識はあったけど、少しずつ対人への苦手意識は減っていったように思う。
それは今思い返すと高校で出会えた友人たちのおかげで、人の家に行くのも人を家に呼ぶのも、互いのテリトリーに入っていくことが、私の自分の壁を取っ払っていって自分のコミュニティを広げていけたんだと思ってる。
ただそんな楽しい中でも、自分の進路について悩むようになる。
家のことについてはちょくちょく触れてはいたけど、おそらく高校の時がオトンの失業回数、転職回数がピークだった。
あ…ありのまま 昔起こった事を話すぜ!
「気付いたらオトンの失業、転職回数が優に40回は超えていた」
な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも 何をされたのか わからなかった…
そんなかんじだったので自分としては働くのかなぁと思っていたけれど、突然高3になってから「大学に行って欲しい」と言われたのだった。
しかし、家庭はハードモードだったので、「お金はない」と。
「はて・・・」というかんじではあった。
でも、当時の自分の中ではもっと学んでみたい気持ちや、社会人になる覚悟もできておらず、特に苦労して育ててくれたオカンの気持ちに応えたいという気持ちが強くて進学を決めた。
おそらく自分の中でも甘えがあったんだと思う。
※ちなみにオトンの失業については、歳を重ねるごとに慣れてきて
オカン「オトン、今仕事してないから」
わたし「ふーん、そっか〜(ゲームピコピコ)」
みたいなやりとりができるくらいには逞しくなった。
進学を決めてもまぁ勉強も平均より少しできるくらいで、学び方を知らないわたしは進学するためにまずは勉強しながらお金を貯めることに決めた。
この時のわたしは、不思議なことに
周りに置いていかれるとか、浪人することに対して何か思うこともなく、ただ「自分の力でどうしようもないことは時間をかけるしかない」と受け入れることができていた。
ただ、この浪人の時期の2年間がかなり苦しい時間になる。(再びフラグ)
③に続く。