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HSPあるある 子供時代

HSPさんあるあるなのかどうかわからないですが、今日は私の子供のころのお話をします。(いつもより長文です。)

私は三人兄弟で、兄と弟がいます。私の家庭は割と教育熱心な家庭だったと思います。父は自営業で母は当時よくある、結婚後→退社、子供三人産んだ後、弟が小学生になってからは、社会復帰をしました。

母は父が会社員ではないため、ボーナスが支給されないことをいつも不満に思っていました。(子供の視点からはそのように見えました。)なぜならことあるごとに、『あなたたちがいい企業に勤めて、会社員として生きていくことが私の目標!会社員にはボーナスがあるのよ!』と言われていたからです。子供たちがいい会社に入って給料が安定することが母の目標だったのです。今思えば、なんだそれって感じですが、へえ、よくわからんけどそうなんだと聞き流していたかもしれません。

母が会社員の良さをたくさん上げても、私は子供ながらに、私は父の働き方に正直憧れていました。だって午前中はゆっくりして、午後になってゆっくり職場に出発して、自分の得意なことやできることでお仕事して、お休みも自分で決められて、会社員とは違う生き方にうらやましいと思っていました。(会社員のこともよくわかっていませんでしたが、兵隊のように規律がある生活と思っていました。)

小学生の自分の方が毎朝決まった時間に学校に行って、授業が終わるまで家に帰れなくて、学校にいる間は教師の支配下にあって、窮屈で仕方なかったので、小学生より楽な暮らしをしている父を羨ましいと思っていました。(個人事業主の大変さを知らない子供だったということですね。)ただ、不登校になったことはありません。

父は自営業だったのですが、会社員ができない人、いわゆる社会不適合者?というのでしょうか。はじめは会社員として働いてはいましたが、数年で体調が悪くなってから会社員を辞めました。今思えば私は父の血を引き継いでいると思います。

組織で働くことが小さいころから嫌悪感でいっぱいだったのに、生きる術がそれしかなくて結局私も会社員を8年ほどやりました。(適応障害になって退職しています。)

HSPさんは他人からの干渉、監視下に置かれることが苦手で、そのことに対して子供のころから強く拒否反応があるのではないでしょうか。

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母はいつもお金の心配をしていたように思います。私も兄も私立の中高に通いましたし、大学は兄と弟は私立理系で3人とも奨学金をもらわなければやっていけませんでした。塾に通うお金を稼ぐために、母親がダブルワークしている時期もありましたし、母の見えない圧力で父も早朝のバイトをしていたこともありました。

母がお金の心配をするたびに、私は自分の存在が、家庭の負担になっているのではないか。存在してていいのだろうか。と存在を否定されているような気分になりました。父におとなになったら養育費を返すと呟いたこともあります。もちろん父は返さなくていいよと言いました。母親には何も言えませんでした。

HSPさんは心が優しい人が多い気がします。また、自分の責任ではないことでも、自分を責めがちだったと思います。

過ぎたことはもう考えなくてもいいかと思っていましたが、急に子供時代の自分の存在を否定されているのでは?という感情が溢れて、こんな感情もあったな。蓋をしていたかもしれないと思いました。

HSPさんにとって、親というのは簡単に毒親になるのかもしれません。HSPさんの感情が繊細で、自分を責めがちであったり、相手の立場を考えてしまったりする特徴が、親を毒親にしてしまうのかもしれません。

兄弟も家族も仲がいい方だと感じています。母親は子供3人を育てるのに、当時、我武者羅だったと思います。お金の工面は大事なことですし、心配になるのは分かります。でもHSP気質の私には傷つくのには十分だった気がします。

HSPあるあるかもしれませんが、家族でさえ自分の辛さや心情をさらけ出せないというのはあるかもしれません。私にも友人はいましたが、本当の辛さを打ち明けられた友人は一人もいませんでした。

自分の子供時代を振り返って、HSPであると気づいてなかったけれど、特徴みたいなものがある気がしました。

HSPのお子さんがいるご家庭ではぜひ、優しすぎて何も言えなくなっているお子さんに否定的な言葉を投げかけるのをやめてあげて欲しいですね。というのが総括になります。

ここまで読んでくださり本当にありがとうございました!









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