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優しさ



 子供の頃の私に「大学に行ったらどんな勉強をしていると思うか」と聞けばきっと国語だと答えるでしょう。
私が日本語を専攻するようになったきっかけはあまりにも現実的な理由でした。
10代の私は正書法の勉強、国語辞典の精読、小説収集が趣味の国語が好きな学生で、したがって大学に入ってからは国語国文学を専攻しようと思っていました。
でも高校2年生になると、韓国で韓国語を専攻すれば就職が難しいかもしれないというアドバイスを聞いて、高校3年生になって日本語科に行こうと思うことを決めました。

 勉強したいことをあきらめなければならなかったせいか、大学に入学して勉強をあまり熱心にしなかったです。私は成績がよく出るはずがなかったし、つられて性格も悪くなり始めました。 周りの人たちと喧嘩が頻繁になると、私は1年生の1学期が終わって軍隊に行くしかなかったです。
 


 軍隊で私は毎日たくさんのことを考えました。
過去の日々を反省し、これからどう生きるべきか悩やみました。
ところが多くの覚悟をして除隊をした後、学校に戻ってきて頭の中に浮かぶ考えは「大変なことになった」だけでした。
勉強をしなかったので、日本語がとても難しかったです。 真っ先にしなければならないことは勉強でした。
そのため、1年生の2学期と2年生の1学期を勉強しかせず、一生懸命考えた覚悟を全部忘れてしまいました。
 


 2年生の2学期になってこの授業を受けるようになり、日常の中の出会いについて3つの文を書きました。
最初は一人暮らしで長い間会えなかった家族との出会いについてでした。 体は離れていても心は全く遠くならない「情」の重要性を感じることができました。何か忘れているような気がしました。
次は家族に会いに行ってくるために一日離れていた彼女との出会いについてでした。 たった一日会えなくてもとても会いたくなってしまう「愛」の重要性を感じることができました。忘れていたことを少し覚えているようでした。
最後はカラオケで酒に酔ってひどいことを言った客との出会いについてでした。 人に接する時は言葉をきれいにしなければならないという「優しさ」の重要性を感じることができました。
忘れていたのを思い出しました。
熱心に勉強して忘れてしまった覚悟が3人の出会いについて文を書くと全部思い出しました。
 


 今より体も心も幼い頃の私にとって最も重要なことは「自尊心」でした。 自尊感が足りなかったので嫌われることを恐れ、嫌われないために利己的に行動しました。
しかし、多くの後悔と反省と成長を通じて十分な自尊心を持つようになり、私は最も重要なことは「心」だということを知りました。
人間の心とは、私を嫌う人を嫌い、私を愛する人を愛したがるのが当然です。
私は嫌われないために、愛されるために優しくて暖かい人になりたいです。 これが私が忘れていた覚悟でした。
 


 優しいということは善良なことよりもっと難しいと思います。
私はまだ善良に話すのもとても難しいので、まず善良な人にならなければならないと思います。
私は優しさはすべてのことを可能にする力だと思います。 だからただ優しい人になりたいです。 これが今の専攻に至る過程を通じて悟り、今年の出会いを通じて取り戻した私の価値観です。


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